<< 立原道造 8 | main | 西條八十 1 >>
立原道造 9

作品「晩秋」冒頭の、〈建築と建築とが さびしい影を曳いている/人どおりのすくない 裏道〉という風景には私も見覚えがあります。

上京したての学生の頃、自分の目指す文芸ジャンルを求めて、大学のサークルを片端から訪れました。それでは足りず、新聞広告に出ていた読書会にも参加しました。それでも、これだと言えるものには巡り会えませんでした。

 

大学の授業も欠席がちになり、友も仲間もなく、終日、東京の街を飢えた野良犬のように彷徨(さまよ)っていました。何の収穫もなく空しく帰路に着く、そんな時、都会の風景は、人気のない建物の影だけが尾を曳くような、空虚で殺風景な空間と化しました。まさに、道造の詩句の通りです。

 

下宿に引きこもっているとノイローゼ(今で言う、鬱)になりそうで、訳もなく夕暮れの学生街をうろつきました。〈あわれな 僕の魂よ/おそい秋の午後には 行くがいい〉とは、居ても立ってもいられない葛藤が、自分をどこか遠くへ誘ってしまうという心理を語っていると私は感じます。このような彷徨(さまよ)いが1年半近く続いた後に、私はふとした偶然から恩師高田敏子先生に巡り会いました。私の長かった漂泊(さすら)いと孤独の時代は終わりました。敬愛する師と同時に、多くの詩の仲間にも恵まれました。


道造の「晩秋」は私にとって、学生時代の苦しかった迷いの出発点を思い出させる記念の詩です。また、心に失意を抱けば、いつでも再び目の前に現れる風景です。

そして、迷いと痛みを抱くすべての人間が歩き続ける原風景でもあるのでしょう。

 

 

一人の詩人の作品を読むということ、こちらの乏しい想像力であれ、作家の内的人生を追体験するということです。詩人の人生――葛藤、願い、喜び、哀しみに寄り添うということ。

無感情に論理で分析し、学問的に解釈しても何の意味もないように思います。

詩作品というものは、自分の体験を通さなければ決して自分のものにはならないと、以前、持論を述べたことがありました。その思いをさらに掘り下げれば、詩作品というものは、体験しなければ決して自分のものにはならないと言えるでしょう。

 

亡くなる最後の日々、見舞いに訪れた知人に道造は、「五月の風をゼリーにしてもって来て下さい」と言ったそうです。命の最後の間際まで、道造は詩人であったことを物語るエピソードです。

                       (この稿、完)


【メモ】立原 道造(大正31914)年730 昭和141939329日)

1914年(大正3年)、立原貞次郎、とめ夫妻の長男として日本橋区橘町(現:東日本橋)に出生。祖先には水戸藩の儒家で『大日本史』を編纂した立原翠軒、画家立原杏所がいる。

1927年(昭和2年)、13歳の折、北原白秋を訪問するなど、既に詩作への造詣を持っていた。同年、口語自由律短歌を『學友會誌』に発表、自選の歌集である『葛飾集』『両國閑吟集』、詩集『水晶簾』をまとめるなど13歳にして歌集を作り才能を発揮していた。

1931年(昭和6年)、東京府立第三中学(現東京都立両国高等学校)から第一高等学校に進学。短歌の倶楽部に入部し、『詩歌』に投稿。高校時代を通じて詩作を続け、『校友會雜誌』に物語「あひみてののちの」を掲載。

1932年(昭和7年)、自らの詩集である『こかげ』を創刊。四行詩集『さふらん』編纂も手がける。高校最後の年を迎えた1933年(昭和8年)、詩集『日曜日』『散歩詩集』を製作。

1933年(昭和8年)、東京帝国大学工学部建築学科に入学。建築学科では丹下健三が1学年下に在籍した。帝大在学中に建築奨励賞である辰野賞を3度受賞。大学卒業年次を迎えた1936年(昭和11年)、テオドール・シュトルム短篇集『林檎みのる頃』を訳出。

1937年(昭和12年)、石本建築事務所に入所。「豊田氏山荘」を設計。詩作面では物語「鮎の歌」を『文藝』に掲載。詩集『ゆふすげびとの歌』を編んだ他、詩集『萱草に寄す』、『曉と夕の詩』と立て続けに出版、建築と詩作の双方で才能を発揮した。

1939年(昭和14年)、第1回中原中也賞(現在の同名の賞とは異なる)受賞。

同年329日午前220分、結核のため248カ月で没した。

詩以外に短歌・俳句・物語・パステル画・スケッチ・建築設計図などを残す。道造の優美な詩風は今日でも共鳴者は多く、高木東六、高田三郎、三善晃などが合唱曲を作曲している。

                        (ウィキペディアを基に記す)


●参考文献

鈴木亨『現代詩鑑賞』桜楓社

『現代詩鑑賞講座第10巻「現代の抒情」』角川書店

國中治『三好達治と立原道造』至文堂

小海英二『現代詩要解』有精堂

『日本の詩歌第24巻 立原道造、他』中公文庫

やなせたかし編集『詩とファンタジー 20097月号』かまくら春秋社


| 立原道造 | 08:58 | comments(2) | trackbacks(0)
コメント
「晩秋」…この詩は道造さんには珍しい現実世界をうたった詩ですね。
21世紀の現在にも共通するフレーズが多いです。

詩のみならず建築設計などにも才能があったすごい人でしたね。しかも着用していたスーツは自らデザイン→生地もセレクトしてオーダーメイドで作っていたそうです
| よーこぶー | 2018/02/11 9:32 PM |
いつもご愛読ありがとうございます。
ご存知のように立原道造は絵画の才能もあり、多くの夢幻的な作品を残しています。彼のデザインのセンスはそこに源を発しているのかも知れませんね。
道造は24歳で早逝しましたが、もし存命ならば今年、104歳。長生きしていたら、どんな作風の詩を書いていたのかと思いを巡らしています。
私の恩師の一人は彼が所属していた詩誌「四季」の同人の一人でした。その縁で、本人に会える機会も夢ではなかったように思います。残念です。
| toshi | 2018/02/16 10:48 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
トラックバック
SEARCH THIS SITE.
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>
CATEGORY
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE