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宮沢賢治 4
 第4話 銀河鉄道の夜

 

宮沢賢治の詩と童話について、詩人村野四郎は「その文学の魅力は結局、科学者の眼と哲人の知恵と詩人の心が一緒に作用しているところに源泉がある」と述べています。

「銀河鉄道の夜」の特異な宇宙感覚も賢治の科学者としての知見から生まれたものでしょう。

 

しかし、賢治は科学者であると同時に狂信的といっていいほどの法華経の信者でした。

3話で紹介した「無声慟哭」の一節、〈わたくしのふたつのこころをみつめているためだ〉は、賢治が仏の世界と現実の世界の両方にまたがって、心が葛藤していることを暗示しています。このように多岐に亘る精神世界の豊かさゆえに、賢治の作品は人間の複雑性を表現した高度の感動をもたらしています。

 

今回は賢治の代表作「銀河鉄道の夜」と読み、そこにどんなメッセージが込められているのかを読み解いていきたいと思います。

 

賢治は農林高校を卒業後、稗貫(ひえぬき)農学校(のちの花巻農学校。現・花巻農業高校)の教師になりましたが、三年間で辞し、農民に農民芸術や農業技術を指導する私塾「羅須(らす)地人協会」を設立しました。

 

羅須地人協会の講義のために賢治が書き下ろした教科書『農民芸術概論綱要』の中に、こんな言葉を残しています。――世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

 

これが賢治の創作活動の原点でした。個人を超えて万人を幸せにすることを自分の使命と考えたのです。これは彼が深く帰依した法華経の教えを現実世界で実践する道でした。農業をやりなさいと上から偉そうに指導し、安定した給料を貰う生活を送っている自分を許せませんでした。それで自分も土地を耕しながら、農民を指導する立場を選び、公立高校をやめてボランティアで私塾を立ち上げたのです。

 

ですから賢治は作家というより、日蓮宗の伝道者であるといった方が正確かも知れません。

また、妹トシは熱心な浄土真宗の信徒である父に反対して、兄賢治と共に日蓮宗を信仰しました。賢治の生き方を一番理解していた妹トシが臨終の床で呟いた、〈また人間に生まれてくる時は、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます〉(「2 grief(かなしみ)を乗り越える」で解説)という言葉も、同じ信仰の賜物(たまもの)と言わねばなりません。


今回取り上げる『銀河鉄道の夜』は、大正13(1924)年、賢治28歳の時に書かれました。

その後、37歳で亡くなるまで何度も推敲の手が入れられました。現在では賢治の代表作といわれているものですが、生前に出版されることはありませんでした。最愛の妹トシの死を契機に書かれた作品といわれ、賢治が実際に体験した「最愛の人の死」をモチーフに描き、生と死をどう受け止めるべきかという、人間の根源的な問題がテーマになっています。

では、一度ストーリーをおさらいしてみましょう。

主人公は小学校に通うジョバンニという少年です。父親は漁師を生業としていますが、なんらかの罪で収監されていて、母親は病気療養中。少しでも貧しい家計の足しになればと、けなげなジョバンニは学校の帰りに活版印刷所でアルバイトを続けています。アルバイトで忙しいジョバンニは、クラスメイトと遊ぶ暇もなく孤独を感じていて、さらに父親のことでたびたびいじめを受けているという設定です。もうひとり、重要な人物として登場するのがジョバンニの友人であるカムパネルラ。彼はジョバンニとは逆に裕福な家庭の少年で、他のクラスメイトとは違い、ジョバンニに対して優しく接してくれるため、二人の間には友情が芽生えています。

 

ある日、放課後のアルバイトを終えて家に戻ったジョバンニは、毎日配達されるはずの母に飲ませるための牛乳が届けられていないのを知り、家を出て牛乳屋へと向かいます。ちょうどその日、町を流れる川では祭(灯籠流しのような祭)が開催されていて、ジョバンニは祭に出かけるカンパネルラを含むクラスメイト達と途中で出会います。楽しそうなみんなの様子を見たジョバンニは疎外感を感じ、寂しさをまぎらわすために。ふらりと寄り道して町外れの丘に一人で登り、しばし時間を過ごすことになります。

 

一人寂しく、ぼんやりと日が暮れ始めた空を眺めているうちに、ジョバンニは、いつの間にか自分が銀河を北十字星から南十字星へと走る汽車に乗り込んでいることに気づきます。

隣の席にはなぜか、祭に出かけたはずの親友のカンパネルラが坐っていました。二人は旅の途中、化石を捕る大学士や、鳥を捕る人、タイタニック号の遭難事故にあったと思われる姉弟など不思議な人々と出会いながら、「人間にとってほほんとうのさいわい(幸福)とはなんなのか?」などと考えつつ一緒に旅を続けることになります。

 

やがて南十字星あたりに到着すると、それまで「どこまでも一緒に旅しよう」と言っていたはずのカンパネルラが忽然(こつぜん)と姿を消していることに気づきます。次の瞬間、ジョバンニは丘の上で泣きながら目覚めました。すべては夢だったというわけです。

 

その後、母親に飲ませる牛乳を受け取った後、川の近くでは「子供が川に落ちたぞ」と大騒ぎになっていました。ジョバンニは近くにいた人から「川に落ちたザネリ(ジョバンニをいじめていたクラスメイト)を助けようとしたカンパネルラが浮かんでこない」と聞かされます。これを知ったジョバンニは、さっき丘の上で見た夢の中で会った人々は死者であり、カンパネルラが天上界へ向かう列車に自分が乗り合わせていた――ということを改めて知ることになります。           NHKテレビテキスト『100de名著 銀河鉄道の夜』より引用

 

以上が『銀河鉄道の夜』の梗概です。列車が銀河を驀進していくというのは、とてつもないスケールのファンタジー童話で、子供の好奇心を刺激してやまないでしょう。

しかし、列車の乗客はジョバンニを除いてすべて死者であり、小中学生の子供が読んだら何だかとても悲しい物語だなという印象しか残らないのではないでしょうか。

 

そこに作者のどんなメッセージが込められているのかは、大人になって、いや、中高年になって読んで、初めて切実に真意が理解できる性質のものだと思います。

賢治の作品は、詩であれ童話であれ、単なる悲しみ、追悼を描こうとしたものはないと思います。詩「永訣の朝」で、賢治は妹の死という堪え難い悲しみを、霙(みぞれ)の清浄さで清め、天上へと昇華する祈りに変えることで悲しみを乗り越えようとしました。

 

『銀河鉄道の夜』を英訳した作家ロジャー・パルバースは、こう語っています。

賢治はトシが亡くなった後に、自分もいっそのこと死んだほうがいいのでは――とも思ったようです。でも生きていこうと決心した。それができたのは、賢治がジョバンニという自分の分身と一緒に銀河を旅しながら、「宇宙=天上界とはいかなるものなのか?」を想像し、自らの悲しみと折り合いをつける方法を見つけたからだと僕は思うのです。『銀河鉄道の夜』は死をテーマに描きながら、それを乗り越えていく希望の物語であったのです。

 

「永訣の朝」の終りに、「どうかこれが天上のアイスクリームになって/おまへとみんなとに清い資糧をもたらすやうに/わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」というフレーズが出て来ます。これこそ、賢治の思想の原点である、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という考え方を詩的に結実させたものです。

 

最愛の者の死によって悲嘆の底に突き落とされながらも、自分のことだけでなく、絶えず他者を思い遣る気持が大切であり、これを実践していれば個人の悲しみは天上で生まれ変わって、万人の御霊(みたま)の清い糧となる――そう考えることで、賢治は妹の死を自分なりに受け入れ、より次元の高いものにすることで、悲しみを乗り越えようとしたのです。

 

そして、「永訣の朝」でうたった天上界の様子をより詳しくファンタジックに描いてみせたのが『銀河鉄道の夜』のように思えます。ですから、ある意味で「銀河鉄道」は妹トシの遺志を運び続ける乗り物であると言えるかも知れません。


(今回の記事をまとめるに当たっては、NHK教育テレビ放映「100分de名著 銀河鉄道の夜 宮沢賢治」に沿って、同テキストの内容を引用し、筆者がコメントを加えて構成しました

 

(参考文献)

日本近代文学大系第36巻『高村光太郎・宮沢賢治集』角川書店

『日本の詩歌 第18巻 宮沢賢治』中公文庫

ロジャー・パルバース『銀河鉄道の夜 宮沢賢治』NHKテレビテキスト

村野四郎『現代詩入門』潮新書

『現代詩鑑賞講座 第6巻 人道主義の周辺』角川書店                                               (この稿続く)

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