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宮沢賢治 3
 第3話 無声慟哭

 

前回は「永訣の朝」を通して、賢治が最愛の妹の死というgrief(かなしみ)を、祈りのレベルまで昇華することで、懸命に乗り越えようとしたことを学びました。

「永訣の朝」はこれまで妹の死の当日に書かれたとされてきましたが、近年の研究で一年後に完成したことが明らかになっています。

 

それは当然のことでしょう。最愛の肉親を喪って賢治は悲傷に打ちひしがれ、到底、詩を書ける状態ではなかったはずです。「永訣の朝」を書くまでには、一年もの時間を要したと考えるべきでしょう。では、その一年の間、賢治は何を思い、行動していたのでしょうか。

 

賢治はトシの死の翌年、サハリン(日本名・樺太)へ約二週間、一人で旅行しています。この旅は、妹の死を忘れるための傷心旅行であったと、一般に解されていますが、賢治の悲嘆の深さを考えれば、そんな簡単に妹の悲劇を忘れられるはずもありません。

妹との思い出深い故郷を離れて、たった一人、異国の地に身をおくことによって、旅の中で最愛の人の死を見つめ、死の意味を考え、自分なりに受容した。――だからこそ、「永訣の朝」は生まれたのでしょう。

 

今回は「永訣の朝」と同時期に書かれた追悼詩、「無声慟哭」を読み解きます。


 

      無声慟哭

  

     こんなにみんなにみまもられながら

     おまへはまだここでくるしまなければならないか

     ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

     また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

     わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

     おまへはじぶんにさだめられたみちを

     ひとりさびしく往かうとするか

     信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

     あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

     毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

     おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

      ら おかないふうしてらべ)

     何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら

     またわたくしのどんなちひさな表情も

     けつして見遁さないやうにしながら

     おまへはけなげに母に訊くのだ

       (うんにや ずゐぶん立派だぢやい

        けふはほんとに立派だぢやい)

     ほんたうにさうだ

     髪だつていつそうくろいし

     まるでこどもの苹果(りんご)の頬だ

     どうかきれいな頬をして

     あたらしく天にうまれてくれ

      れでもからだくさえがべ?⦆

       ⦅うんにや いつかう⦆

     ほんたうにそんなことはない

     かへつてここはなつののはらの

     ちひさな白い花の匂でいつぱいだから

     ただわたくしはそれをいま言へないのだ

       (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

     わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは

     わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

     ああそんなに

     かなしく眼をそらしてはいけない

 

                   詩集『春と修羅』1924年

 

                   註

                  *あたしこはいふうをしてるでせう

                  *それでもわるいにほひでせう


 

追悼詩というと、一般的に知られているのが高村光太郎の『智恵子抄』所収の「レモン哀歌」でしょう。ところが、その「レモン哀歌」を書いた高村光太郎が絶賛したのが、賢治の「永訣の朝」でした。


 

       レモン哀歌      高村 光太郎


     そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
     かなしく白くあかるい死の床で
     わたしの手からとつた一つのレモンを
     あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
     トパアズいろの香気が立つ
     その数滴の天のものなるレモンの汁は
     ぱつとあなたの意識を正常にした
     あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
     わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
     あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
     かういふ命の瀬戸ぎはに
     智恵子はもとの智恵子となり
     生涯の愛を一瞬にかたむけた
     それからひと時
     昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
     あなたの機関はそれなり止まつた
     写真の前に挿した桜の花かげに
     すずしく光るレモンを今日も置かう

 

                     詩集『智恵子抄』1939(昭和14)年


 

日本の詩を代表する、この二つの挽歌について、詩人村野四郎が次のように比較分析しています。


挽歌としては、高村光太郎の『智恵子抄』中の「レモン哀歌」などが、まず思いだされますが、この二つの挽歌をくらべると、おのずから作者の詩人としての人柄のちがいが、はっきりと浮かび上がって、大変興味があります。

光太郎の挽歌は、何といっても名匠の冴えを見せるような名セリフですが、賢治が妹トシを歌ったこの哀歌ときては、歯切れもわるく読みづらく、かりにも愛唱歌といえる代物(しろもの)ではありません。

しかし、「レモン哀歌」の、あの名調子が、読者の感傷をさそって擦過するのに対して、賢治の哀歌には、鈍重であるが垂直的に、深く読者の胸にしみこんでいく不思議な迫力がたたえられています。

これは、賢治の知恵、いわば賢治が抱いていた、人間の実存的悲哀観によるものでしょう。

賢治がえがく瀕死のトシには、光太郎の智恵子のように、「きれいな歯」も「青く澄んだ眼」もありません。そのかわりに「おかないふう」(死相)と「くさえがべ」(死臭)とがあるだけです。

しかし、そこから立ちのぼる人間的悲哀のすさまじさは、到底「レモン哀歌」の「トパアズ色の香気」どころの比ではありません。

【注】実存的悲哀観:生きる意味を何よりも大切に考える人間が、悲しみに対して抱く思い方。

 

この文章の後には以下のような言葉が続きます。

「詩というものの真の迫力は、単なる言葉の上だけのきれいごとなどからは生まれないということを、この作品(=無声慟哭)によって知ってもらいたいのです。

言葉をえらび、言葉をみがくということは、自分の認識を確かめ、深めることですから、詩作上の欠かせない要件ではありますが、それが間違って文章をかざる(いわゆる言葉のきれいごと)ことになると、自然に認識も習慣的、類型的になって、肝心の詩的迫力を逃がしてしまうことになります。

一見無技巧にみえるレトリック(修辞)の迫力というものは、実は、いわゆる言葉上の〈うまさを超えた、高次元のレトリックのことなのです

 

恩師高田敏子は、後進の者に常々、こう語っていました。

「大事な自分の内部に目を向けることより、言葉を詩的に飾ろうとすることに気をとられたり、持ってまわった言い方をするのが詩なのだと思い違いをしている方が多いようです。

自分は、この詩を書くことで何を知ろうとしたのか? と、自分に問いかける心を持って、一つの詩をまとめてゆかなければなりません。

自己の追求、また、ものの見方の追求、話題を広げるのではなく、一つのことへの追求こそ大切なのです。言葉について考えることは、思いを深めることでもあるのですから

 

これはまさに村野四郎が賢治の詩を評して語ったメッセージと同質のものです。賢治がいかに高い詩観をもって詩作していたかを物語る、確かな証左に違いありません。

 

「無声慟哭」の語釈に移ります。

タイトルの「無声慟哭」ですが、これは「無声」=声を挙げない、という語と、「慟哭」=声を挙げて泣く、という相反する語を組み合わせています。二つの矛盾する言葉を連結することで、深い痛切の情が伝わります。声を出さないというのではなく、声を押し殺して泣く、という苦悶の情を表わしていると考えていいのではないでしょうか。

 

人が余りに深い悲しみを背負わされると、涙も出なくなると聞いたことがあります。

今年2月21日付の朝日新聞にこんな記事を見つけました。

「泣きてえけど、上手に泣けねえ。涙が出ねんだ」。岩手県陸前高田市の電器店主小島(おじま)幸久さん(40)は語った。震災で妻の紀子さん(38)、娘の千空(ちひろ)ちゃん(7)を失い、今はプレハブの仮設住宅で独り暮らしだ。

あの日、消防団員の幸久さんは仕事先から家に戻り、停電後の警戒に町へ出た。津波が来るとは思ってもみなかった。家族とも会えないまま、泥だらけの遺体運びを手伝った。6日後、家の近くで家族の遺体がみつかった。ちいちゃん、ちいちゃん。仲間に「そろそろだぞ」と言われるまで娘を呼び続けた。

 

涙が出ないほどの究極の悲傷――それが「無声慟哭」の真実だったのでしょう。

 

巨きな信のちからからことさらにはなれ〉=信仰によって得られる「ちから」がもたらした生きる活力から離れている状態。5行目の〈青ぐらい修羅〉は、それを言い換えた表現。

〈青ぐらい〉色とは、悲しみのために心が暗く濁った状態を暗示しています。

なお、「修羅」とは「阿修羅」(インド神話の悪魔・鬼神)の略。賢治が使った「修羅」の意味は、阿修羅の住むような、争いや怒りの絶えない世界。悟りからは、ほど遠い煩悩のただ中にいることを譬えています。「修羅場」の修羅と同じ意味あいと考えられます。

 

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ〉=浄土真宗一色の宮沢家の中で法華経を信仰していたのは、賢治とトシの二人だけでした。

 

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて〉=心の「修羅」の状態を言い換えたもの。次行の、〈毒草や蛍光菌のくらい野原〉も同じく、修羅的な心境を表わします。

蛍光菌は発光菌の意で、不気味で陰湿な救いのない心の闇を譬えています。

 

〈おら おかないふうしてらべ〉=母親に呼びかけた言葉です。私は薄気味の悪い姿をしているでしょう、と臨終のトシは、死の苦しみのさ中にいても、自分を客観的に見つめる知性を備えていました。どんな状況でも自分の容貌を気にかける、女性らしさが溢れた言葉です。哀切でもあります。

 

〈わたくしのどんなちひさな表情も/けつして見遁さないやうにしながら〉=トシは病いに(やつ)れた我が身の姿を気にして母親に問いかけました。しかし、本当は兄の賢治が同じ問いかけに対して、どんな風に答えるかを注意深く見つめているのでした。

 

〈うんにや ずゐぶん立派だぢやい/けふはほんとに立派だぢやい〉=トシの問いかけへ、「薄気味悪いことなんかないよ。今日は一段と立派だよ」と母親は答えました。我が子を落胆させたくないと気遣う、母親らしい愛情の(こも)った言葉です。

 

〈まるでこどもの苹果の頬だ〉=前行に黒髪の艶やかさを()でる言葉を置くことによって、林檎のような赤い頬が一層鮮やかに伝わって来ます。トシは色白の東北美人であったので、頬が赤く染まっていたのでしょうが、結核の症状のひとつに肌が透き通るように白いという特徴があります。さらに、病熱のせいもあって顔が上気し、瀕死のトシは異様な美しさに輝いていたとも想像されます。

 

〈ただわたくしはそれをいま言へないのだ/(わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)〉

=私は修羅の闇に落ちている。信仰から外れた正常な精神状態でないことを指し、そのため妹の今際(いまわ)(きわ)の呟き――(おら おかないふうしてらべ)⦅それでもからだくさえがべ?⦆――に対して病人が安堵するような適切な受け答えができないと嘆いています。

 

〈わたくしのふたつのこころをみつめてゐる〉=妹を安心させる言葉をかけてやりたい気持と、修羅を生きる自分にはその資格はないという、相矛盾する気持がせめぎ合う〈ふたつのこころ〉を意味します。

ところで、賢治が繰り返し語る「修羅」とは、どのような懊悩であったのか、もう少し詳しく読み解いてみましょう。

 

先ほど、〈おら おかないふうしてらべ〉という詩句の解説で、これはトシが、自分が病いのためにひどい容姿をしているのではないかと気にかける言葉だと解説しました。

しかし、この悲痛な問いかけは、容姿のことばかりでなく、信心深いトシであればこそ、死に臨んで心を取り乱してはいないか、と精神面での問いかけだとも解釈されます。

 

そうであれば、母親がトシの問いかけに、〈うんにや ずゐぶん立派だぢやい/けふはほんとに立派だぢやい〉と答えたのは、容姿に対してだけでなく、死に臨む態度の〈立派さ〉も(たた)えていると考えられるのです。

 

ところが賢治は、母親と違って、妹に向かって立派だと言える資格は、自分にはないと考えます。それはなぜかと言えば、〈わたくしは修羅をあるいてゐる〉からなのです。

賢治に修羅の闇を歩かせているのは、厳格なまでの自己凝視でした。もともと狂信に近い日蓮宗信者であったように、物事を突き詰める過激さは生来備わったものでした。

 

末期の床にいる妹は、「永訣の朝」で(うた)われていたように、髪も頬も美しかったに違いありませんが、長らく病床にあったため(やつ)れた表情もあったと想像されます。熱臭も漂っていたかも知れません。

賢治の冷たく研ぎすまされた理性は、いくら母親が〈ほんとに立派だぢゃい〉と言っても、妹のいたわしい姿を否定することができません。瀕死の姿に打ちのめされ、日頃の信仰心も活かせず、なすすべもなく、沈黙しています。

そこには、妹の問いかけに答えられぬ惨めな兄である自分を嘆く、弱々しい、赤裸々な人間像が浮かんで来ます。――修羅とはこういう葛藤を指すのではないでしょうか。

 

思えば、賢治は実に不器用な人です。一徹な人です。母親のように、その場限りでもいいから、病人を安心させるようなことが言えない人なのです。しかし、そこに賢治の真っ正直な人間的魅力があるとも言えるでしょう。

(今回の記事をまとめるに当たっては、NHK教育テレビ放映「100分de名著 銀河鉄道の夜 宮沢賢治」に沿って、同テキストの内容を引用し、筆者がコメントを加えて構成しました。また、「無声慟哭」の語釈は恩田逸夫氏の「宮沢賢治集注釈」(『高村光太郎・宮沢賢治集』所収に基づいています)

 

(参考文献)

日本近代文学大系第36巻『高村光太郎・宮沢賢治集』角川書店

『日本の詩歌 第18巻 宮沢賢治』中公文庫

ロジャー・パルバース『銀河鉄道の夜 宮沢賢治』NHKテレビテキスト

村野四郎『現代詩入門』潮新書

『現代詩鑑賞講座 第6巻 人道主義の周辺』角川書店
                               (この稿続く)
  


| 宮沢賢治 | 11:07 | comments(2) | trackbacks(0)
コメント
前略
 高校で教員をしております櫛橋と申します。
 宮沢賢治と高村光太郎の比較をされた、このページを拝見させていただき、授業実践の参考資料として使わせていただきたいと思いコメント欄で申し訳ないのですが、承認いただけますよう、お願い申し上げます。
| 櫛橋生也 | 2018/07/12 1:07 PM |
櫛橋様、この度は私の拙いブログに目を留めて下さり、誠にありがとうございました。授業の参考にしたいとのご依頼、喜んでお受けいたします。
当記事は、敬愛する先達の知見により成り立っているもので、私はそれらを小器用にまとめたに過ぎません。特に、ロジャー・パルバース氏の『銀河鉄道の夜 宮沢賢治』(NHKテレビテキスト)に、ほとんどを負っています。
ですから、拙稿をお使いの際は、私が参考にした文献を必ず明記してご紹介下さるようお願いいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
| toshi | 2018/07/13 11:24 AM |
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