<< 谷川 雁 4 | main | 宮沢賢治 2 >>
宮沢賢治 1
第1話 永訣の朝

宮沢賢治(18961933)は今でこそ国民詩人としての名声が高いのですが、彼の作品が正当に評価されるようになったのは、わずが15年ほど前のことなのです。それは、1996年頃のことで、宮沢賢治生誕百年を迎えたのが契機となりました。

生前はほとんど無名の存在でした。それもそのはず、生前に出版された作品は、詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』の二冊だけ、それも自費出版で身近な人達に配られました。詩集『春と修羅』は、1924(大正13)年4月、発行部数1千部。童話集『注文の多い料理店』は同年12月の刊行ですが、ほとんど反響はありませんでした。

 

昭和30年代から賢治作品は小中学校の教科書に取り上げられていましたが、それは「文学」ではなく、あくまで「童話」という限られたジャンルでの評価でした。ところが、没後百年に当たる1996年はバブル経済がはじけ、阪神大震災(19951月)、オウム真理教による地下鉄サリン事件(同年3月)が起こった頃でした。これらの社会事象によって、日本人の考え方は大きな影響を受けました。それまでの物質至上主義や拝金主義が崩れ、人間の幸せはもっと別のところにあるのではないか、という新たな価値観が生まれました。

そのタイミングで賢治生誕百年という記念すべき年が重なったことで、賢治作品が発するメッセージが注視されるようになりました。そして今、3.11の東日本大震災で、賢治の残した思想やメッセージをより一層日本人は必要としているように思われます。

 

初回は賢治の数ある作品の中から、代表作「永訣の朝」を通して、賢治の死生観をお話したいと思います。愛する人を突然に喪った悲しみを賢治がどのようにして理解し、受け入れ、そして乗り越えていったのかを探ります。


(今回の記事をまとめるに当たっては、NHK教育テレビ放映「100分de名著 銀河鉄道の夜 宮沢賢治」に沿って、同テキストの内容を引用し、筆者がコメントを加えて構成しました。また、作品「永訣の朝」の語釈は小海永二『現代詩の解釈と鑑賞』に基づいています)


                   *


賢治に死について深く考えさせるきっかけとなったのは、二歳違いの妹トシの死でした。

賢治の37年間の短い生涯の中で、最愛の妹との永遠(とわ)の別れは、人生最大の悲しむべき出来事でした。血を分けた肉親の中でとりわけ仲がよかっただけでなく、賢治の最良の理解者であり、情感を共有できる同志であり、精神的な支えとなるパートナーのような存在でした。

万葉集の中で、恋人や妻を「吾妹子(わぎもこ)」という言葉で呼んでいます。これは、実の妹のように愛しいという意味で使われていますが、賢治にとってトシはまさに吾妹子であったのです。

トシは花巻高等女学校、日本女子大学家政学科卒業後、母校花巻高女の教諭になりましたが、在職中、結核を発病して24歳で亡くなりました。学業成績は抜群で、頭の良さは賢治の兄妹中随一であり、賢治と同じ日蓮宗の信仰を持ち、賢治の分身のようなかけがえのない存在でした。発病の報に接して、賢治は東京での生活を投げ打って帰郷しました。トシは療養のため一年半の間、祖父が隠居部屋として建てた別荘に住みましたが、賢治も一緒に住み込んで付きっきりで介護を続けたといいます。そしてトシが息を引き取った時、賢治は押し入れに頭を突っ込んで吠えるように慟哭したそうです。

 

トシを喪った賢治の大きな衝撃は、詩集『春と修羅』所収の「永訣の朝」「無声慟哭」「松の針」の三篇を結晶させました。「永訣の朝」について高村光太郎は「こんなまことのこもった美しい詩がまたとあるだろうか。その詩を書き写しているうちに、わたしは自然と清らかな涙に洗われる気がした」と絶賛しています。


 

       永訣の朝 


      きょうのうちに

      とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ

      みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

         (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

      うすあかくいっそう陰惨な雲から

      みぞれはびちょびちょふってくる

         (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

      青い蓴菜(じゅんさい)のもようのついた

      これらふたつのかけた陶椀(とうわん)

      おまえがたべるあめゆきをとろうとして

      わたくしはまがったてっぽうだまのように

      このくらいみぞれのなかに飛びだした

         (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

      蒼鉛(そうえん)いろの暗い雲から

      みぞれはびちょびちょ沈んでくる

      ああとし子

      死ぬといういまごろになって

      わたくしをいっしゃうあかるくするために

      こんなさっぱりした雪のひとわんを

      おまえはわたくしにたのんだのだ

      ありがとうわたくしのけなげないもうとよ

      わたくしもまっすぐにすすんでいくから

         (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

      はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから

      おまえはわたくしにたのんだのだ

      銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの

      そらからおちた雪のさいごのひとわんを……

      ……ふたきれのみかげせきざいに

      みぞれはさびしくたまっている

      わたくしはそのうえにあぶなくたち

      雪と水とのまっしろな二相系(にそうけい)をたもち

      すきとおるつめたい雫にみちた

      このつややかな松のえだから

      わたくしのやさしいいもうとの

      さいごのたべものをもらっていこう

      わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ

      みなれたちゃわんのこの藍のもようにも

      もうきょうおまえはわかれてしまう

         (Ora Ora de Shitori egumo

      ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう

      あああのとざされた病室の

      くらいびょうぶやかやのなかに

      やさしくあおじろく燃えている

      わたくしのけなげないもうとよ

      この雪はどこをえらぼうにも

      あんまりどこもまっしろなのだ

      あんなおそろしいみだれたそらから

      このうつくしい雪がきたのだ

         (うまれでくるたて

      こんどはこたにわりゃのごとばかりで

      くるしまなえよにうまれてくる)

      おまえがたべるこのふたわんのゆきに

      わたくしはいまこころからいのる

      どうかこれが兜率(とそつ)の天の(じき)になって

      おまえとみんなとに

      聖(きよ)資糧(かて)をもたらすように

      わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう


                   

                  *あめゆきとつてきてください

                  *あたしはあたしでひとりいきます

                  *またひとにうまれてくるときは

                    こんなにじぶんのことばかりで

                    くるしまないやうにうまれてきます

                  *ああいい さつぱりした

                   まるではやしのなかにきたやうだ

 

                        詩集『春と修羅』1924年


 

タイトルの「永訣」とは文字通り、永遠の別れを表わします。冒頭の〈きょうのうちに〉の〈きょう〉とは、大正11(1922)1127日。この日の内に、追悼詩「永訣の朝」「無声慟哭」「松の針」の3篇が作られたといわれていますが、後世の研究で「永訣の朝」は妹の死後、一年を経て完成したことが分かっています。

2行目の〈わたくしのいもうとよ〉と〈わたくしの〉と呼びかけているのは、ほかならぬ、かけがえのない妹という強調です。賢治の深い悲しみから発した言葉に違いありません。

 

〈みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ〉は、部屋の中から外を見た時、雪の降る日の印象を的確に表現した描写です。その後の〈うすあかくいっそう陰惨な雲〉と照応するものです。死にゆく妹を前にすると、空の明るさが、より不吉に目に映じるのでしょう。

 

〈あめゆじゅとてちてけんじゃ〉は、岩手県花巻地方の方言で、雨雪((みぞれ))を取って来て下さい、の意です。病熱のために渇いた喉を潤したいという願いを訴えています。

方言を使って肉声を響かせることで、病める妹の存在が生々しく伝わって来ます。作中では、この言葉は三回繰り返されていますが、効果的なリフレインとなって、詩のリズムを刻んでいます。花巻方言のやさしい味わいが感得できます。

 

蓴菜は、池や沼に自生する水草で茎と葉の裏側から寒天状の粘液を出し、食用として珍重されています。〈これらふたつのかけた陶椀〉の〈陶椀〉は陶器の茶碗。〈わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ/みなれたちゃわんのこの藍のもよう〉と後半部にあるように、賢治兄妹が長年愛用して、(ふち)が欠けている愛着の深い品です。

〈まがったてっぽうだまのように〉は、瀕死の妹の願いを叶えるために、一目散に外へ飛び出そうとするのですが、部屋から表に出るまで家の中をあちこち曲がることを指しています。

その曲がり方は、曲がる所は急角度で、曲がらずに済む所は一直線に走る様子が伺えます。実に観察の行き届いた表現と言うべきでしょう。

 

〈蒼鉛いろの暗い雲から〉は、〈蒼鉛〉は金属元素のひとつで、赤みを帯びた灰白色です。

陶器の上絵用に使われます。前半部に〈うすあかくいっそう陰惨な雲〉という詩句がありますが、この部分を別の言葉で表現したものです。

賢治は地質学・岩石学に造詣が深く、学問的な特殊用語を多用しています。

 

みぞれはびちょびちょ沈んでくる〉は、その前に〈みぞれはびちょびちょふってくる〉という同じ表現がありますが、〈沈んでくる〉の方が、重く下へ沈むようにして降って来るという、実感のある言葉です。そして、〈ああとし子〉と呼びかける嘆きの言葉が出て来たことで、この詩全体が妹に向けて書かれたものであることがわかります。

 

〈わたくしをいっしょうあかるくするために〉は、暗澹たる思いでいた賢治は、妹に「雨雪を取って来てほしい」と頼まれたことで、ひと時、気持を救われ、目の前が明るくなったよに感じました。それまで、〈うすあかくいっそう陰惨な雲〉〈蒼鉛いろの暗い雲〉と、陰鬱な空模様が描かれていただけに、この場面で光が射すのは対比的で劇的な効果をあげています。そして妹の頼みは、単に雨雪を口に含みたいということよりも、暗く(ふさ)いだ賢治の心を一生涯明るくするための〈けなげな〉計らいであったと作者は悟るのでした。

 

〈ありがとうわたくしのけなげないもうとよ〉は、死の瀬戸際でも兄の自分を思い遣ってくれたことへの感謝です。〈わたくしをいっしょうあかるくするために〉〈さっぱりした雪のひとわん〉を頼んでくれたことへの返礼です。

 

〈わたくしもまっすぐにすすんでいくから〉は、自分も人として正しい道をひとすじに歩んでいく、との決意です。この後に(だから安心してほしい)という言葉が隠されていると想像されます。

 

〈銀河や太陽 気圏などとよばれたせかい〉では、〈気圏〉は地球を包んでいる大気の存在する範囲。銀河、太陽、気圏は賢治独特の宇宙観から生まれた言葉で、詩作品や童話に頻出しています。

 

〈ふたきれのみかげせきざい〉は、御影石の石材が二かけら、の意。御影石は花崗岩のことで、建築資材として使われています。

〈みぞれはさびしくたまっている〉は、心寂しい作者がみぞれに感情移入して、〈さびしく〉見えるのです。〈そのうえにあぶなくたち〉は、〈その上〉は〈ふたきれのみかげせきざい〉に危うく立っているのです。

雪と水とのまっしろな二相系(にそうけい)をたもち〉は、(みぞれ)を賢治独特の表現で言い換えた表現で、霙は氷という個体と、水という液体の二相から成り立っているからです。そして、この二相を保ったまま載せているのは、2行あとの〈松のえだ〉です。だから、霙の雫にぬれて、〈つややかな松のえだ〉に映るのです。

 

〈あああのとざされた病室〉とは、表で雪を掬いながら、病室に付す危篤の妹を思い浮かべた言葉です。〈くらいびょうぶやかやのなかに〉は、当時は病人の暖房ために冬でも蚊帳をつり、屏風を囲いました。

やさしくあおじろく燃えている〉とは、病いでやつれて青ざめた妹の顔を暗示し、最期の生命の火が燃えている、という意味も含んでいます。

ですから、次行の〈わたくしのけなげないもうとよ〉の〈けなげな〉の意味は、最期の生命の火を燃やして、死と闘っていることをいいます。

 

この雪はどこをえらぼうにも/あんまりどこもまっしろなのだ〉は、妹のために純白の雪を取ろうにも、すべてまっ白なので、どこから取っていいか迷っています。

そして、この雪は妹の死を美しく清めるものとして賢治は見つめています。

 

(うまれでくるたて/こんどはこたにわりゃのごとばかりで/くるしまなえよにうまれてくる)〉は、父親が最期に言い残すことはないかと聞いた時、妹トシが言った言葉だといいます。意味は、「また人間に生まれてくる時は、こんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます」。その真意は、自分のことだけに苦しむのではなくて、人のため、すべての人の幸福のために苦しむような生き方をしたい、ということでした。

これは驚くべき言葉です。普通、こんな業病を患ったら、今度生まれたら二度とこんな病気にはなりたくない、こんな苦しみは味わいたくないと言うのが当然だと思います。

 

ところが、彼女は自分の辛い運命を嘆くよりも、自分の苦痛を人のために活かしたい、と語ったのです。私が「永訣の朝」の詩篇中、最も心を打たれた箇所であり、トシという女性の崇高さと情愛の豊かさを感じさせられました。

 

どうかこれが兜率(とそつ)の天の(じき)になって〉では、〈これ〉は〈おまえがたべるこのふたわんのゆき〉を指します。〈兜率の天〉は仏教用語で、遠い未来、この世に降臨して衆生(しゅじょう)を救うと信じられている、弥勒菩薩が治めている天界が兜率天。〈食〉は、食べ物。

初版本では、〈兜率(とそつ)の天の(じき)〉というという箇所は、〈天上のアイスクリーム〉という表現になっていました。

 

〈やがておまえとみんなに〉は、妹の〈おまえ〉だけでなく、天上に住む者達も、の意。妹トシと同じように、すべての人の幸いを願う、賢治の深い信仰心から生まれた言葉であるように思います。

〈わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう〉は、自分の一切の幸福をかけて願う、の意。

〈かける〉という言葉は、失敗した時はそれを失う覚悟で行うことを言います。

そうであれば、賢治は自分のすべての幸福を失ってもいいという覚悟で、妹に与えた雨雪が天上の多くの御霊(みたま)の聖なる糧となることを祈ったのでした。

                               (この稿続く)

(参考文献)

NHKテレビテキスト『100分de名著 銀河鉄道の夜 宮沢賢治』

小海永二『現代詩の解釈と鑑賞』
 

| 宮沢賢治 | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0)
コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://poemculturetalk.poemculture.main.jp/trackback/293
トラックバック
SEARCH THIS SITE.
CALENDAR
S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>
CATEGORY
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE