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吉野弘 1 「やさしい哲学者」
 

私が吉野弘という詩人に出会ったのは、27歳の秋です。詩人は51歳でした。

上京してから長い彷徨(さまよ)いの後、恩師高田敏子先生に巡り会い、先生のお宅に足繁く通うようになり、やがて先生が主宰する全国規模の同人詩誌『野火』に掲載されたインタビュー欄の担当を任されることになりました。

詩の会に入ったばかりで、詩のことは皆目分からないズブの素人が、詩壇の第一線のプロ詩人に会うのですから、それはもう、前夜から身体が震えるほど緊張しました。

 

当時、詩集を入手するのは至難の技でした。今なら、ネットで検索すればほとんどの詩集は落手できます。でも、その頃は訪問する詩人の詩集を国会図書館で調べ、仲間と事前に勉強してから伺いました。ところが、相手がこちらの質問に素直に答えてくれなくて面食らったり、作品の理解力がないために、不快な思いを与えて、仲間と逃げ出すように訪問先を辞したこともありました。

 

吉野弘という詩人については恥ずかしながら全くの無知でした。経歴を見ると、若い日に労働組合運動に力を注ぎ、書記長まで務めたとありました。詩集に載っていた顔写真は蓬髪(ほうはつ)で闘士然とした風貌でした。それできっと強面(こわもて)の詩人だと先入観を(いだ)き、おっかなびっくりの思いで家を訪ねました。

最寄り駅は、東京の遥か郊外の埼玉県との境にある私鉄駅で、「北入曽(きたいりそ)」という独特の地名(吉野先生は、この駅名を詩集のタイトルにされています)でした。

 

北入曽駅に着くと、先生は自転車で迎えに来て下さっていました。家に着くまでの道々、自転車を押しながら気さくに話しかけてこられ、その間に、私たちは詩人の人柄にすっかり打ち解けてしまいました。写真でみた印象とはまったく異なる、やさしい方でした。

季節はちょうど晩秋で、先生が散歩でよく立ち寄るという神社に寄り道しました。

大きな銀杏の木があり、黄色く色づいた落ち葉が、あたり一面に散り敷き、銀杏がいく粒も落ちていました。先生は毎日これを拾って帰るんだと笑っていました。

 

お宅を訪問すると、テーブルの上には所狭しとご馳走が並んでいました。インタビューどころではなく、懇親会の趣きでした。詩への思いを熱く語る内に、奥の方から一升瓶を取り出され、「僕は夜、さびしくて、さびしくて、深夜放送を見ながら、これが(一升瓶)が半分になってしまうんですよ」と語られました。君達もいっぱいやんなさい、と愛飲の酒を振る舞われ、しまいにはとうとう飲み会になってしまいました。

あれから、もう30年余が経ちましたが、心やさしい詩人の家で過ごした、意義深く、詩的刺激に満ちた、楽しい晩秋のひと時は、今でも目に浮かぶほど鮮やかに浮んで来ます。

 

吉野先生の詩は、日常のどんな違和感も見逃さず、その違和感の根源をとことん突き詰めていく所に特徴があります。非常に論理的で緻密に構成された詩だと言えるでしょう。

ただ、その分だけ理詰めで詩を読み解くことになり、初心の人には難解に思われる箇所もあるかも知れません。しかし、その難解さは(ゆえ)ある難しさなので、時間をかけてじっくり取り組めば、必ず詩の言葉は解きほぐれて来ます。それは、追って紹介する「生命は」「修辞的鋳掛屋」の諸作を読めば充分に理解されるでしょう。

 

吉野弘の詩の良さは、その人柄そのままに、うわべだけの薄っぺらいやさしさではなく、人の心に沁みるリアリティーあるやさしさを追求していることだと私は思います。

代表作「夕焼け」がそれを如実に証(あかし)しているに違いありません。


 

         夕焼け

 

       いつものことだが

       電車は満員だった。

       そして

       いつものことだが

       若者と娘が腰をおろし

       としよりが立っていた。

       うつむいていた娘が立って

       としよりに席をゆずった。

       そそくさととしよりが坐った。

       礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

       娘は坐った。

       別のとしよりが娘の前に

       横あいから押されてきた。

       娘はうつむいた。

       しかし

       又立って

       席を

       そのとしよりにゆずった。

       としよりは次の駅で礼を言って降りた。

       娘は坐った。

       二度あることは と言う通り

       別のとしよりが娘の前に

       押し出された。

       可哀想に

       娘はうつむいて

       そして今度は席を立たなかった。

       次の駅も

       次の駅も

       下唇をキュッと噛んで

       身体をこわばらせて――。

       僕は電車を降りた。

       固くなってうつむいて

       娘はどこまで行ったろう。

       やさしい心の持主は

       いつでもどこでも

       われにもあらず受難者となる。

       何故って

       やさしい心の持主は

       他人のつらさを自分のつらさのように

       感じるから。

       やさしい心に責められながら

       娘はどこまでゆけるだろう。

       下唇を噛んで

       つらい気持ちで

       美しい夕焼けも見ないで。

                   詩集『幻・方法』(1959年)


 

車内でお年寄りに席を譲った娘が、三度、同じ状況に追い込まれた時、彼女はもう席を譲りませんでした。その理由は作品中で明かされています。〈やさしい心の持主は/いつでもどこでも/われにあらず受難者となる〉から。


受難者の心理も詳しく書かれています。〈何故って/やさしい心の持主は/他人のつらさを自分のつらさのように感じるから〉だと。

主人公の娘は、作者の分身ですね。つまり、作者の吉野弘も、他人のつらさを自分のつらさのように感じるやさしい人なんです。


以前、吉野先生がこんなことをおっしゃっていました。電車に座っていると、前に立っている人の鞄が、自分の膝にコツコツ当たる。それが不愉快で仕方がないと。本人はそれに全然気がついていない。どうして、自分が他人に迷惑をかけているのがわからないのか。怒りで、アッパーカットでもしてやりたくなると。

他人のつらさを察するナイーブな感性をもった詩人ならではの発言でしょう。

 

私がこの作品で心に残るのは、常に恥じらいを帯びている娘の心情です。

人が公衆の面前でよいことをする時は、何かしら気恥ずかしいものです。でも、そのシャイで謙虚な感情が大切なのでしょう。

〈下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで〉耐えている娘に、いじらしいほど切なさを感じるのは私だけではないでしょう。

 

高田敏子先生は、「夕焼け」という詩に、こんな感想を述べています。

「窓枠を額縁に、夕焼けを背にして座る娘。夕焼けは娘を囲む聖画、光芒を見る思いにさせる」――うつむいて受難者となった娘の心の〈闇〉と、娘の背後に広がる夕焼けの燦然とした〈光〉との対極的なドラマでもあるのです。

                              (この稿続く)


| 吉野 弘 | 22:00 | comments(2) | trackbacks(0)
コメント
早朝。散歩仲間と川縁りを歩きながら、吉野弘さんの話題によくなります。

富士市に引っ越されてから、認知症が進んだと奥さまから聞きましても、お別れの日がくるとは思いませんでした。

西武線に乗り、進行方向右の座席に座りますと、夕陽が顔を差してきます。そうすると、吉野弘さんの詩が浮かぶのです。駅は「北入曽」ではなくて「入曽」なのです。

亡くなって3年すぎたある日、このブログをゆっくりと拝読しました。
また、吉野弘さんの詩を読み直そうと思いました。ありがとうございました。
| 狭山茶っ娘 | 2017/07/10 2:13 PM |
コメントを寄せて下さってありがとうございました。
吉野先生の晩年の様子を教えていただいて感謝しております。吉野先生が認知症にかかっておられたというのは初耳でした。先生ほどの知的な方が、と少し驚いています。
先生の奥様とは何かご縁がおありのようですね。
もし、差し支えなければ吉野先生の晩年のご様子を詳しく教えていただければありがたいです。若き日、先生と深く関わった者としてぜひお願いします。プロフィール欄「素顔」に記しておりますメールアドレスをお使い下さい。
改めてご厚情に深く感謝しております。
| toshi | 2017/07/15 10:08 AM |
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