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丸山薫 4 「水の精神」

    水の精神(こころ)

 

   水は澄んでゐても 精神ははげしく思ひ惑つてゐる

   思ひ惑つて揺れてゐる

   水は気配を殺してゐたい それだのにときどき声をたてる

   水は意志を鞭で打たれてゐる が匂ふ 息づいてゐる

   水はどうにもならない感情がある

   その感情はわれてゐる 乱れてゐる 希望が()くなつてゐる

   だしぬけに傾く 逆立ちする 泣き叫ぶ 落ちちらばふ  ともすれば

    そんな夢から覚める

   そのあとで いつそう侘しい色になる

   水はこころをとり戻したいとしきりに(いのる)

   りはなかなか叶へてくれない

   水は訴へたい気持で胸がいつぱいになる

   じつさい いろんなことを喋つてみる が言葉はなかなか意味にならない

   いつたい何処から湧いてきたのだらうと疑つてみる

   形のないことが情ない

   (やが)て憤りは重つてくる (ふく)れる 溢れる 押さへきれない

   棄鉢(すてばち)になる

   けれどやつぱり悲しくて 自分の顔を忘れようとねがふ

   瞬間  忘れたと思つた

   水はまだ眼を開かない

   陽が優しく水の(まぶた)をさすつてゐる

 

恩師・安西均の作品評があります。

 

「水の精神」と題した二十行の詩は、すべて擬人法で書かれた抒情詩である。しかも「水」以外の形象を余計に持ち込まないで書いた純一さがある。      エッセイ集『冬の麦』

 

擬人法とは、本来人間でないものをあたかも人間の如く扱う表現技法ですが、この作品で擬人化されているのは、水です。さらに、擬人化された水を通して作者が訴えかけているのが、人間の不安定な心です。

「水」以外の形象(イメージ)を余計に持ち込まないとは、言葉がすべて水の形象だけでコーディネートされているということです。例えば〈揺れてゐる〉〈われてゐる〉〈乱れてゐる〉〈膨れる〉〈溢れる〉などの言葉は、水の躍動感を表しています。

 

現実の中で変化してやまない人の心は、不安定に流動する水の(さま)とよく似ています。作者は人の心と水の生態に共通点を見てこの詩を創作したのでしょう。

 

識者の評言を見ると、「水の精神」は詩人の魂を象徴していると書かれています。

表面的には澄んで落ち着いて見えるが、心は動揺している。時代の動きに無関心でおられらず、芸術家としての悩み、怒り、自暴自棄、惑乱に心身をすり減らした疲れと眠りを描いていると。

 

でも、この作品を詩人の心情だけに限定する必要もないと思います。

社会、家庭の問題に翻弄される私たち一般庶民の心のあり(よう)を比喩していると読み解いてもいいのではないでしょうか。

 

〈水はどうにもならない感情がある/その感情はわれてゐる 乱れてゐる 希望が失くなつてゐる/だしぬけに傾く 逆立ちする 泣き叫ぶ 落ちちらばふ  ともすればそんな夢から覚める/そのあとで いつそう侘しい色になる〉

これらの詩行は、自分ではどうにもコントロールできない弱い心に絶望して、嘆き、感情に溺れ、荒れ果て、やがて我に返った時の後悔と空しさを鮮やかに描いていると受け取ってもいいでしょう。

 

〈棄鉢になる/けれどやつぱり悲しくて 自分の顔を忘れようとねがふ/瞬間  忘れたと思つた/水はまだ眼を開かない〉

自暴自棄から脱却し、至らぬ自分を忘れたいと願う。そして一瞬、忘れたように思う。

でも、水はまだ眼を開かない  真の心の目覚めには至らず、水=精神は、なおも迷いの中にまどろんでいると語っています。

 

最終行の〈陽が優しく水の瞼をさすつてゐる〉の中の〈陽〉に、私は人の力を越えた存在を感じます。まだ自分の目標に到達できず、心労から疲れて眠る者に、やさしく働きかけている存在を感じます。


迷妄の渦中にいる者の目を開かせようと、陽の光のような恵みを降り注いでいる者がいる。その恩寵的表現から作者の温かい人間性が伝わって来ます。

| 丸山薫 | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0)
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