三島由紀夫 1

第1話 金閣寺に殉じた作家

 

    金閣寺(抄)

 

 

夜空のように、金閣は暗黒時代の象徴として作られたのだった。そこで私の夢想の金閣は、その周囲に押し寄せている闇の背景を必要とした。闇のなかに、美しい細身の柱の構造が、内から微光を放ってじっと物静かに坐っていた。人がこの建築にどんな言葉で語りかけても、美しい金閣は無言で、繊細な構造をあらわして、周囲の闇に耐えていなければならぬ。私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅(こんどう)鳳凰(ほうおう)を思った。この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることも忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。時間がその翼を打つ。翼を打って、後方に流れてゆく。飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金いろの(そう)の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。そうして考えると、私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。美術書が語っているその「壁の少ない、吹きぬきの建築」は、船の構造を空想させ、この複雑な三層の屋形船(やかたぶね)が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で(いかり)を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出航したのである。

                        三島由紀夫『金閣寺』1956(昭和31)年

 

鳳凰(ほうおう)=中国神話の伝説の鳥、霊鳥。容姿は、前部が(りん)、後部が鹿、(くび)は蛇、背は亀、(あご)は燕、(くちばし)は鶏、尾は魚であるとされる。また五色絢爛な色彩で、羽には孔雀に似て五色の紋があり、声は五音を発するとされる。

 

京都鹿苑寺(ろくおんじ)の金閣。創建は1397(応永4)年、今から約600年前に舎利殿(仏の遺骨を安置する堂)として建てられましたが、終戦後心ない者の放火により焼失してしまいました。そこから着想を得て、宿命の主人公が金閣に対する異常な愛着を描いたのが、三島由紀夫の代表作『金閣寺』の一節です。

 

■「金閣寺」のあらすじ

金閣寺の美に( ) りつかれた学僧が、寺を放火するまでの経緯を一人称告白体の形で綴ってゆく物語。戦中戦後の時代を背景に、主人公は重度の吃音症(きつおんしょう)の宿命を背負い、人生に立ちはだかる金閣の美への呪詛(じゅそ)と執着という、相反(あいはん)する心理や観念が綴られています。

 

『銀閣寺』の主人公は、貧しい寺の子として生まれ、吃音( きつおん ) のため自分をうまく表現できず、生来疎外感に悩まされていました。身体が弱く、引っ込み思案な性格のために夢想好きな少年に育ちました。幼い頃から父親に金閣寺の美しさを聞かされ、見たこともない金閣寺を誇大妄想的に偉大で美しいものと考えました。ところが、現実の金閣寺は全く異なり、金閣がその美を偽り、何か別の物に化けているのではないかと疑うほどでした。

 

父親の死後、金閣寺の徒弟となった主人公の前に、金閣寺は別の美しさをもって迫るようになります。戦時下、金閣が空襲の火に焼け滅ぼされるだろうという幻想です。( もろ ) い肉体の自分と同様、金閣の美も滅びる運命にあるという感覚は、金閣と自分を一体化させ主人公を狂喜させます。ところが、京都は空襲はなく戦争は終わります。金閣は儚い悲壮美から、再び堅固な美へ変貌していきます。

 

金閣との関係を絶たれたと考えた主人公は絶望します。寺の老師との葛藤も深まり、自分が寺の後継者となる道が絶たれ、金閣の支配者となる可能性が完全に失われました。ここに至って主人公は、不滅と思われている金閣を消滅できればこの世界は確実に変わると考え、金閣への放火を決意します。

 

燃え上がった炎の中で、金閣の美に包まれて三階の部屋で死のうと思いつきましたが、鍵がかかっていました。金閣寺に拒まれていると感じた主人公は、、逃走の途中まで自殺を決意していながら、最後には「生きよう」と思います。主人公が生きようとした決意には様々な解釈が可能ですが、この作品が単に美を破壊するだけの物語には終わらない、大きな広がりと意味を持っていることは確かなようです。

 

■『金閣寺』の美意識

この作品の登場まで、当時の文壇は三島に対し懐疑的否定的な評価をしていましたが、左翼系の作家までも高評価をし、名実ともに三島由紀夫が日本文学の代表的作家の地位を築いた作品です。

 

1956(昭和31)年、文芸雑誌『新潮』1月号から10月号に連載されました。単行本は同年10月30日に新潮社より刊行され、15万部のベストセラーとなりました。読売新聞アンケートで、昭和31年度ベストワンに選ばれ、第8回(1956年度)読売文学賞(小説部門)を受賞しています。文庫版は新潮文庫で刊行され、今日まで累計売上330万部を超えているロングセラー小説です。

 

『金閣寺』は、長い歴史を経て来た建築美術への幻想的な讃美が語られています。しかし、その美を完全に自分のものにするためには、焼くこと以外にありえないと考え詰めるところに、戦後の異常な人間心理が見られます。

 

この異常心理に似通ったものがあります。ストーカー行為です。恋愛関係が壊れた時、思いが断ち切れず、相手を殺害してしまう事例があります。究極のエゴイズムであり、追いつめられた人間の身勝手な行動ですが、作中の放火犯の心理に通じる所があるかも知れません。

 

金閣寺の美しさに魅入られ、犯罪者となる以外に道を見つけられなかった若者の苦悩。それを描き切ったこの作品は、「戦後文学の金字塔」とも(たた)えられました。こうした三島文学の魅力は一体どこにあるのか、という問いに対して、三島と古くからの友人であった美輪明宏が以下のように語っています。


日本の美意識でしょうね。日本の美意識のレベルの高さ。三島さんがおっしゃってたことは、あらゆる芸術作品は霊格(れいかく)が高くなければならないとおっしゃってたんですよ。スピリチュアルのね、霊格が高いものでないと本物の芸術とはいえない、と。しかもオリジナリティーですね。たとえばアメリカにも、英国にも、フランスにもイタリアにもドイツにもない、日本だけの文学、そういう美意識。よそとは違う格調の高さとか、ものの見方、表現の仕方。三島さんは古典から出発してますから、歌舞伎や能とかね、そういった、純日本的な美学の基本ができてらしての表現だから…。

     ウェブサイト「トクベツキカク」――美輪明宏が語る天才作家・三島由紀夫

 

取り上げた一節は、金閣の不滅の美を描いた部分です。三島の文学作品は、独自の美意識から生まれた高度に知的で精緻(せいち)な文体で書かれています。ただ、それだけに難解な箇所もありますので、いくつかのキーワードに絞って、下記のように文脈の流れをまとめてみました。

 

^店時代の象徴=闇の背景――繊細な構造――無言で耐える

金銅の鳳凰=鳥であることを忘れる――永遠に時間のなかを飛ぶ――不動の姿

3い鬚錣燭詒しい船=永遠の航海――昼は停泊し、夜に出航する

 

美輪明宏が語るように、金閣の美は霊格の(こも)った(あや)しげなものですから、その美学を支える背景には深い〈闇〉がなければなりません。また、その構造も〈繊細〉なものでなければならないのです。しかも、そのデリケートな姿が〈時間〉を超越して永遠に存在することが必要になります。そのために作者は〈金銅の鳳凰〉をじっと〈不動の姿〉のまま静止させ、時間の方がその翼を打ちながら後方へ流れ去ると、詩的な想念を描きました。

 

さて、金閣が不動であるということは、金閣を取り巻く外界は激しく移ろうことでもあります。四季が変わり、歴史が変転し、金閣の所有者も代が替わります。実は現実的に考えると、金閣の美も不動のものではなく、時間の流れの中で風雨に打たれて劣化し、金箔が無惨に(は)げ落ちてゆきます。

しかし、主人公の抱く金閣の美学を成立させるためには、このようなリアリズムの側面には目を(つむ)らなくてなりません。ですから、『金閣寺』は小説というより、極めて観念的で詩的な文学作品であると私は解釈しています。

 

不動の金閣は永遠の航海へ(い)で立つ船にも似ています。しかし、俗人の目にはこの〈ふしぎな船〉はいつも静止しているとしか見えません。金閣という船は、自分の美は、一般の見物人には絶対にわからないと、澄ましかえっているというのです。この船が活動を始めるのは、そんな下賤(げせん)な人々が帰ってしまった闇の夜です。このような金閣の美が、主人公の心を強く魅惑します。

 

なお、作中の〈暗黒時代〉とは、室町幕府内の政争と深く関わっています。金閣寺を建てた室町幕府三代将軍・足利義満が幼少の頃は、日本史でいう所の南北朝時代でした。北朝を支援する室町幕府は南朝との抗争が続いていました。さらに足利家の内紛である観応(かんのう)擾乱(じょうらん)(南北朝時代、対立する南朝と北朝との抗争)以来、幕政をめぐる争いが深刻さを増していました。

暗殺、毒殺、謀殺(ぼうさつ)が日常茶飯事に行われていた殺伐たる世の中でした。このような歴史的な〈闇〉のイメージも重ねて味わうべきでしょう。

 

終りに余談ですが、三島由紀夫の邸宅について触れておきます。1959年5月、都内南馬込4丁目にビクトリア朝風コロニアル様式の白亜の邸宅が建造されました。建設費用は、次回作「鏡子の家」の印税を前借して充てたといわれています。

この邸宅では、頻繁にパーティーが催され、「大森鹿鳴館」とも呼ばれました。スペイン植民地風の外観、室内はスペイン骨董やフランス骨董で飾り立てました。家具類は三島婦人と二人で足を棒にしてマドリッドの骨董屋あさって歩き、スパニッシュ・バロックの装飾美に熱中したといいます。(上の左側の写真で右奥に三島由紀夫夫妻)

 

私はこの豪華絢爛な建築を見ながら、この邸宅こそ三島が目指したこの世の「金閣寺」ではなかったかと思いました。それほどまでに、三島は文学のみならず、自分の美意識に殉じた作家だったに違いありません。

 

(メモ)コロニアル様式:建築・工芸様式の一つ。17〜18世紀のイギリス・スペイン・オランダの植民地に見られ、特に植民地時代のアメリカで発達した。建物は正面にポーチがつき、大きな窓やベランダがある。明治期以降、長崎や神戸などの外国人居留地の住宅で用いられた。神戸の異人館で見られる。「コロニアル」とは「植民地の」という意。右の写真は、同様式の神戸・北野異人館。

 

 

 

 

 

【メモ】三島 由紀夫 1925年(大正14)年114 - 1970(昭和45)年1125日) 本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)は小説家・劇作家・評論家・政治活動家・民族主義者。血液型はA型。戦後の日本文学界を代表する作家の一人。

代表作は小説に『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『憂国』、『豊饒の海』四部作など、戯曲に『鹿鳴館』、『近代能楽集』、『サド侯爵夫人』などがある。

人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「(たて)の会」を結成。19701125日、前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、楯の会隊員4名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)を訪れて東部方面総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促し、その約5分後に割腹自殺を遂げた。享年、45歳。

この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生れるなど、国内の政治運動に大きな影響を及ぼした。

筆名の「三島」は、静岡県三島の地名に由来する。「三島」の命名を想起した清水文雄が修善寺での同人誌の編集会議を兼ねた一泊旅行のとき、「三島」を通ってきたことと、富士を見ての連想から「ゆき」という名前が浮かんだという。著作権は、酒井著作権事務所が一括管理。201011月時点で三島の著作は累計発行部数2400万部以上。

                    (インターネット百科事典「ウィキペディア」)

                                                                             (この稿完)

 

 

| 三島由紀夫 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
SEARCH THIS SITE.
CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< October 2020 >>
CATEGORY
SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
モバイル
qrcode
LINKS
PROFILE