高田敏子「日々」

 

       日々        高田 敏子


     小鳥がいて

     黒猫の親子がいて

     庭には犬がいて

 

     夕方の買いものは

     小鳥のための青菜と

     猫のための小鯵と

     犬のための肉と

     それに

     カレーライスを三杯もおかわりする

     息子がいた

     あのころの買い物籠の重かったこと!

 

     いまは 籠も持たずに表通りに出て

     パン一斤を求めて帰って来たりする

 

     みんな時の向こうに流れ去ったのだ

     パン一斤の軽さをかかえて

     夕日の赤さに見とれている

 

                   詩集『薔薇の木』1980年


ネットの相談コーナーにこの詩へ次のような質問がありました。

 

高田敏子さんの「日々」という詩が青山学院中の入試問題に出題されたことがあります。最後の2行に「パン一斤の軽さをかかえて/夕日の赤さに見とれている」とありますが、

 (1) 「軽さ」は次のどれをあらわしているか。

   ア 気楽さ イ 楽しさ ウ 苦しさ エ さみしさ

 (2) 「みとれている」は「軽さ」の気分をどうしているのか。

   ア ほっとしている イ 耐えている ウ はねのけている

   エ 楽しんでいる

 

 正解は(1) ア (2) エ  だったような気がします。

 この答えだと、「子ども達が巣立って気楽になった。昔を思い出して楽しんでいる」とつじつまが合うのですが、そうなのでしょうか。

「昔は買い物もたくさんあったけど、今ではパン一斤だけになってしまって、寂しくなったなあ」というのは違いますかね。

この詩の正しい解釈を教えていただけたらうれしいです。

 

この質問に対して私はこう回答しました。

詩人・高田敏子に師事した者です。

「日々」の詩の正しい解釈は、質問者さんのお考えでよいと思います。

師である高田先生は若い頃、お手伝いさんやペットを含めると、大家族の家庭でした。

詩に書かれている通り、子供達が独立し、ご主人が亡くなられ、先生はしばらく一人暮らしをされていました。その頃の感慨をうたったものです。

にぎやかな家庭だっただけに、その落差にずいぶん淋しい思いをされ、晩年の作品はその哀しみをうたったものが主流となりました。

ですから、「子ども達が巣立って気楽になった。昔を思い出して楽しんでいる」とは、ほど遠い心情でした。

パン一斤を買って夕陽に見とれている孤高の姿は、一人残されて生きる哀しみを通り越した、透明な安らぎといった思いに近いのではないでしょうか。

                                    (完)

| 高田敏子代表作 | 17:31 | comments(0) | trackbacks(0)
布良海岸 3
 作者が久しぶりに訪れた布良海岸での夏の一日も、若者のように華やかな水着を着けた、生を謳歌するような海水浴ではありませんでした。〈人影のない岩鼻〉で人目を避けるような、「沐浴」にも等しい淋しい一人泳ぎなのです。

ここには、女性の盛りを過ぎた素肌をもう衆目にさらしたくないという含羞が、暗黙の内に込められています。

それでも〈よせる波は/私の体を滑らかに洗い ほてらせていった〉ような、官能的な陶酔感と(おのの)きを、まだ身内に覚えるのです。それは老境に向かう心身の最後の輝きなのでしょう。

 

〈私の夏は終わっていた〉とは、単に季節としての夏が終わったのではなく、人生の夏の終わりを暗示しています。それは夏に象徴される〈青春〉の終わりに他なりません。

〈ふとふりむいた岩鼻のあたりには/海女が四五人 波しぶきをあびて立ち〉という章句にには、海女の野性的な肢体に若き日の自分を見る、作者の青春への郷愁が伺えます。

〈私がひそかにぬけてきた夏の日が/その上にだけかがやいていた〉海女たちの光景には、人生の盛りを過ぎ、青春の輝きをまぶしく見つめる女性のさびしさが漂っています。

 

「布良海岸」は、あまりにもさりげない言葉の裏に、深い内容が秘められていて、平明な語り口のために、よほど目をこらさないと詩の核心を読み過ごしてしまいます。

私はこの詩を自分なりに読み解くのに、作者と同じ年代になるまで歳月を要しました。

高田敏子の詩業の中で「布良海岸」は、老いと若さの狭間に揺れる微妙な年代の女性心理をうたった、中期の代表作です。

 

高田敏子の詩の特徴は、素材は日常的、言葉は平明。散文と見まがうまでに透明化されているために、詩句を注意深く見つめていないと大切な意味を見逃してしまいます。

それだけに、時間をかけて作者の暗示したメッセージを探り当てた時、魂に響くような感銘を受けるのです。

 

2000年、東京の生活を引き払い郷里の広島に帰る前、記念旅行として教室の人達と布良の地を再訪しましたが、詩碑を飾る薄紫は除幕式以来、十年の風雪を耐えてなお鮮やかでした。
                          (完)

| 高田敏子代表作 | 18:54 | comments(3) | trackbacks(0)
布良海岸 2

1990(平成2)年、高田敏子先生の一周忌に多くの会員の尽力によって二基の詩碑が建てられました。一基は、高田先生宅近くの高田馬場・諏訪公園内。子供の遊び場にちなむ「かくれんぼ」の詩が、自然石にはめ込まれた銅板に刻まれています。

諏訪公園は高田馬場駅から、先生宅に向かう道の途中にあり、私も数え切れないほど側を通りました。また、先生を交えて詩の仲間達と夜の公園に遊び、そこで即興詩のゲームに興じたこともある、私にとっても思い出深い場所です。

 

他の一基は、房総半島・館山(たてやま)近郊の安房自然村の丘陵。

詩碑の立つ高台は眼下に太平洋の海原が広がり、快晴の日には遠く富士山が望まれる景勝地です。

詩碑の設計は、高田先生主宰「野火の会」のスタッフの一員、鈴木亨先生(跡見女子大学教授)。素材は黒御影石で、台座の白御影石に故人が好んだ藤色のタイルが巡らされています。鈴木先生発案の「紫の海に浮かぶ詩碑」という詩想漂う瀟洒なデザインです。詩碑には、建立の地「布良海岸」の詩が刻されています。


この作品は、1967(昭和42)年刊行の詩集『藤』(第7回室生犀星賞)に発表、高田敏子の代表作として幾多の鑑賞の書で紹介されています。

最初に作品の真価を発掘したのは、当時、現代詩人会会長の村野四郎氏でした。

朝日新聞連載の詩でブレイクした『月曜日の詩集』(1967年)の序文で村野氏は、「いわゆる生活詩として好評を博した、日常的で平明な作品群が、高度な詩性を土台にして書かれたものである」と高く評価し、それを証明するものとして「布良海岸」を引用しています。

村野氏は、新聞の連載で百万人の読者に〈詩〉を感じさせ得るような作品は簡便に生まれるものではないと断言します。それを踏まえた上で、「布良海岸」は「非常に高度な詩的元素と技術が用意されていなければ、決して生まれて来なかった」と、讃辞を贈っています。

 

「布良海岸」創作時、作者は五十代と思われます。熟年を迎えた境涯が、この詩を読み解く重要な鍵です。

熟年と言えば聞こえはいいですが、人生の老いの入り口にさしかかった年齢といってよいでしょう。老いには個人差があり、トライアスロンに出場するほどの体力の持ち主もいます。

ただ、若者のファッションや流行について行くには、もう気後れのする年代であるのも確かでしょう。

                       (この稿続く)


| 高田敏子代表作 | 11:46 | comments(0) | trackbacks(0)
布良海岸 1
 

    布良(めら)海岸         高田 敏子

 

   この夏の一日

   房総半島の突端 布良の海に泳いだ

   それは人影のない岩鼻

   沐浴のようなひとり泳ぎであったが

   よせる波は

   私の体を滑らかに洗い ほてらせていった

   岩かげで 水着をぬぎ 体をふくと

   私の夏は終わっていた

   切り通しの道を帰りながら

   ふとふりむいた岩鼻のあたりには

   海女が四五人 波しぶきをあびて立ち

   私がひそかにぬけてきた夏の日が

   その上にだけかがやいていた。


                       (この稿続く)

| 高田敏子代表作 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0)
むらさきの花 3
家の中では家族、家の外では多くの会員・詩人仲間に囲まれた〈平穏な日々〉。
日中は、編集者、新聞、CMなど仕事の依頼客、東京内外から訪れる会員で、来客の溢れる高田家でした。しかし夜は、勉強会が終わり、皆が帰ると高田先生には一人暮らしの孤独が待っていました。
常時、多くの人が訪れるだけに、それこそ潮が引いたように客が帰った後の淋しさは、尚更だったように想像します。その心境を、〈毎夜私は 縁先につながれて眠る赤犬の/いびきを聞きながら目をつむる〉という章句が巧みに暗示しています。

そのやり場のない淋しさ――初老を迎えた女性の孤独と寂寥をテーマに描いたのが、「むらさきの花」でした。
作品後半部で読み解きにくい、二つのキーワードが登場します。〈岩山〉と〈根の毒〉です。
〈眠りにつくまでの道には/岩山があって〉道端に紫色の花が咲いているといいます。この〈むらさきの花〉とは、次の行で鳥兜の花だと明らかになります。

眠りにつくまでの夢うつつの世界に出て来る、〈岩山〉とは何でしょうか。
私にはそれはとても荒涼とした淋しい心象風景に感じます。例えは悪いですが、何か東北の恐山(おそれざん)のような、黄泉の暗さのような怖さも漂っています。
そんなたった一人の心細い淋しさを噛み締めながら、作者は毎夜、床に就いているのです。
〈むらさきの花を好む私の心の奥にも/この花の根に似たもののあることを知っている〉とは、心を死滅させる猛毒のような、まさに人を死に追いやるような、救われ難い孤独を抱えていることを暗示しています。

〈根の毒〉とは、癒す術(すべ)のない致死量の淋しさを象徴するものだと、今の私は解釈しています。
〈根の毒を舌先になめながら/眠りの道に入る〉とは、何と凄絶な詩的修辞でしょう。
一見、やさしい表現を取りながらも、その裏に心の深淵を秘める。これが詩人高田敏子の詩の言葉の凄みであり、深さです。言葉がシンプルであるとは、多くのものが作者によって極限まで削(そ)ぎ落とされているからです。読者は、その隠された部分を想像力で補わねばなりません。高田敏子の詩のむずかしさは、そこに要因があります。

刊行時、20代だった私は、〈平穏な日々〉の哄笑の影に〈根の毒〉を舌先になめ、夜の闇を見つめる時間が先生にあったとは、夢にも思いませんでした。恩師の代表詩集『むらさきの花』は、私の人間観察の未熟さを一笑しました。学生の身に、年齢を重ねた女性の寂寥などわかるはずもありません。
還暦を越えた今、やっと先達の岩山のふもとに辿りついた思いです。
この詩集は私にとって、詩人への畏怖と、詩作に向かう際の厳粛な態度を教えてくれた青春の書なのです。                             (了)


| 高田敏子代表作 | 16:14 | comments(4) | trackbacks(0)
むらさきの花 2
 「むらさきの花」は、同タイトルの詩集『むらさきの花』に掲載されています。1976年刊行で作者が62歳の時でした。私は高田敏子先生に師事したばかりで20代半ばでした。
詩集『むらさきの花』は、先生60代の代表詩集といってよく、高田敏子の詩業を象徴する完成度です。

今でも鮮やかに覚えているのですが、先生は出来上がったばかりの、この詩集をうれしそうに私達門下生に披露しました。ただ哀しいことに、私も仲間も詩の勉強を始めたばかりで、作品「むらさきの花」のどこがどういいのか、全く言葉は浮かばず、ペラペラと空しく頁を繰るだけでした。
きっと先生は淋しい思いをされたのではないでしょうか。それを思うと今でも悔やまれてなりません。

この作品が作られた当時、先生の3人の子供達はそれぞれ自立し、親の手のかからない年齢になっていました。〈私はもう 子といさかうこともなく/折々の訪れをのどかな笑顔で迎えている〉の章句の通り、子供達のいずれも家庭的な問題はなく、時折訪れる孫と一家団欒の日々を送っていました。

また自宅では、先生や交流の深いプロの詩人を交えた勉強会が定期的に開かれていました。
勉強会の後は小さな宴になるのが恒例でした。全国の会員から届けられた山海の珍味などを肴にお酒が出ることもありました。先生は日本橋生まれの生粋の江戸っ子で、優れた詩人以上に歯切れの良い江戸弁で語る、話の達人でした。私の学生仲間も、「先生の話が面白くて通い詰めているのさ。寄席に行くより面白い」と言っていました。先生お得意の、詩人仲間の声色(こわいろ)を使い分けた朗読、興が乗るとお気に入りの着物から支那服まで、お色直しの花嫁も顔負けするかという即席のファッションショーが始まったこともありました。

ですから私は、先生の詩に接すると、普段の先生の天性の陽気さと余りにかけ離れた、心の深淵を覗き見る思いがします。                   (この項続く)


| 高田敏子代表作 | 15:25 | comments(0) | trackbacks(0)
むらさきの花 1
         むらさきの花       高田 敏子

        日々は平穏である
        長女は四部屋の社宅に住み
        二児を育てながら
        料理とケーキ作りに熱中している

        次女は二部屋のマンションに移り
        靴のデザインを仕事として
        土曜か日曜日にはもどって来る
        テレビの前でコーヒーを飲みながら
        きっということば
        この家 寒いわ もっと暖房を強くしたら?

        息子も三部屋のマンション暮らし
        一歳半の男の子数え唄をうたう
         ひとつ ひよこが 豆くって ピヨピヨ
         ふたつ ふたごが けんかして プンプン
        愛らしい妻も声をあわせて
        唄は何回もくり返される

        私はもう 子といさかうこともなく
        折々の訪れをのどかな笑顔で迎えている

        この平穏な日々
        何をほかに思うことがあろう
        毎夜私は 縁先につながれて眠る赤犬の
        いびきを聞きながら目をつむる
  
        眠りにつくまでの道には
        岩山があって
        植物図鑑の中の
        むらさきの花が咲いている
        根に毒をもつというトリカブトの花
        むらさきの花を好む私の心の奥にも
        この花の根に似たもののあることを知っている

        根の毒を舌先になめながら
        眠りの道に入るまでの さびしさ


   
  
| 高田敏子代表作 | 11:42 | comments(1) | trackbacks(0)
高田敏子「私の夜」
 
    私の夜  

 

  別れるとき もう次の約束をしなくなった

  爐気茲Δ覆薛瓠,里△

  爐任呂泙燭い弔瓠,慮斥佞鬚修┐襪世韻

  地下鉄の階段を 右と左に別れて降りていく

  振り返る ということも もうないことを思って

  私も振りむくことをやめている

 

  夜になると この夏 日和佐の砂浜で見た

  海亀の産卵の姿を思っている

  四肢を砂に埋めて 見開いた目を空にむけて

  長い苦しみの時間をかけて産み落とす卵は

  いままで私の見たものの中で もっとも美しいものとして目に残り

  薄紅色の 真珠色の

  あたたかく やわらかく

  私のてのひらの中に ちょうど包めそうな

  光の珠は

  ひとの姿を形づくる前の

  宿ったばかりの ひとのいのちそのものと

  同じに違いない

 

  亀はその淡々しい 美しいいのちを砂に埋めて

  自然の手にまかせたまま 星明かりの海に帰っていった

 

  重く疲れた体を引きずり

  波打ちぎわにたどりつくまでの長い時間も

  亀は 振りむくことをしなかった

  振りむくことを期待して 波間にかくれるまでを見送った私の感傷を

  灯を消した床の中で 私は笑ってみる

 

  動物も植物も 愛などという面倒な感情は不要なのだ

  犬や猫 猿の生態に愛を認めるのも

  人の感傷に過ぎないのではないか

  彼らは 愛よりも生そのものを 見事に行動しているのだ

 

  愛を断ち切ったり 紡いだり

  それも至極個人的な感情の中での操作をくり返している日々に

  何がある?

 

  亀は 産卵の傷ましい疲労からとうに回復しているだろう

  生み落とした卵のどれほどが生を全うして

  海に帰って来るかを 思うこともなく

  すべて自然のまま

  海底に 心静かに 忠実に

  生を呼吸しているだろう

 

  爐泙燭い弔瓠,慮斥佞琉嫐の重さ 軽さ

  そのどちらとも計りかねて 胸に手を置くと

  私の生が忠実に 生を鼓動していることに気づく

  私も 星明かりの海の 深みへと降りてゆく

  私の夜

                 詩集『むらさきの花』1976


恩師高田敏子先生の「私の夜」を読む度に、何かを振りきるように早足で歩く先生の後姿を思い出します。

先生と一緒に外出する時、先生は私達生徒を置いて、さっさと早足で歩いて行くのが常でした。下町の商家に生れた()(すい)の江戸っ子である先生は、後から私のような生徒たちがダラダラとついてくる浮わついた雰囲気を嫌ったのでしょう。その孤高の姿勢は、詩の中でも変わることはありません。


日常、人との別れに際して、私たちも普通、振り返ることはありません。仮に、最後まで見送ったとしても、また会えるかどうかわからないから。そんな感傷を作者は排するのです。


産卵を終え、最後まで振り向くことなく、波間に姿を消した海亀の姿は〈愛よりも生そのものを 見事に行動している〉と作者は語ります。生んだ卵のうち、いくつが生をまっとうするだろうか。そんな心配で振り返るような甘い心では、厳しい自然の中で生は営めないでしょう。


自然の手にまかせたまま、振り返らず、運命に身をゆだね切る強さ。自然に任せ切る強さ。

どうすればより多くの卵が孵化するか、などと、海亀は人間のように効率は考えません。

生に忠実に生きる。決して振り返らぬ。一見、非情に見える行動こそ、真の愛だと作者は訴えているかのようです。


〈愛を断ち切ったり 紡いだり/それも至極個人的な感情の中での 操作をくり返している日々に/何がある?〉 作中では極力主観を抑える作者の、詩の形式を壊すほどの激しい語気です。これは男女の愛を蔑視しているのではなく、〈個人的〉ではない方の、隣人への愛など、もっと広いアガペー的な愛情を願っての言葉だと私は解釈しています。


地下鉄での何気ない別れから詩想を広げ、人間の情愛の儚さと自然の生の雄々しさを対比してみせた「私の夜」は、作者の愛の哲学の集大成だと思います。自分の仕事をなし終え、〈傷ましい疲労〉から身を休める海亀。同じように生の鼓動を忠実に打つ作者の胸。


私は海亀の姿に、成果を振り返らず、詩の普及に精魂を傾け、全国800人の会員のために常時疲労の中にあった師の姿が重なって見えて来ます。

| 高田敏子代表作 | 21:10 | comments(2) | trackbacks(0)
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