川崎洋 2
第2話 方言と悪口の豊かさ

       海で

       今年の夏 ついこのあいだ
       宮崎の海で 以下のことに出逢いました
       浜辺で
       若者が二人空びんに海の水を詰めているのです
       何をしているのかと問うたらば
       二人が云うに
       ぼくらうまれて始めて海を見た
       海は昼も夜も揺れているのは驚くべきことだ
       だからこの海の水を
       びんに入れて持ち帰り
       盥 ( たらい ) にあけて
       水が終日揺れるさまを眺めていようと思う
       と云うのです
       やがて いい土産ができた と
       二人は口笛をふきながら
       暮れかける浜から立ち去りました
       夕食の折
       ぼくは変に感激してその話を
       宿の人に話したら
       あなたもかつがれたのかね
       あの二人は
       近所の漁師の息子だよ
       と云われたのです



作品の舞台は、宮崎県児湯 ( こゆ ) 郡川南(かわなみ)町、トロントロン(地元での通称)。実際に体験したエピソードが綴られています。
「だまされても、ちっとも腹がたたず、その逆に変に嬉しいというか、とてもおいしい小噺 ( こばなし ) を堪能したような気分でした」と作者。
茨木のり子は、「誰も傷つかない最高のユーモアで、若者二人の行為そのものが、すでに詩。だから、さらさらと紹介するだけで詩になった」と評しています。
なお、ユーモアについて調べてみると、単なる冗談といった軽い意味ではなく、人生の深慮のひとつであることがわかります。

○ユーモア=\い涼罎 ( ゆが ) みや馬鹿らしさを面白がったり、楽しんだりする余裕と寛大さ(河盛好蔵『河岸の古本屋』)⊃誉犬龍譴靴漾悲しみに直面して冷静さを失わず、それを微笑と精神的優越さとをもって観察する、ゆとりある態度(同学社『新修ドイツ語辞典』)



       
いい女


       よか(おなご)・福岡
       じょうもん・博多
       おなごぶりええ・横手
       ええにょばさん・米子
       上器量
・玉野
       よかおごじょ・鹿児島
       こ
(づら)がはげちょる(ひと皮むけてる)・宇佐
       みよいすさん・魚津
       きゅら・沖縄
       笑顔
()し・明石
       美
)(うる)わしか・天草
       江戸雛(えどびんな)
()はんのよう・富山
       市松(人形)さんみたい・愛媛南予
       ついて行きとうなるような
(おなご)・愛媛南予
       もうちゃん別嬪
(べっぴん)・益田
       しゃあな
(おなご)・鳥羽
       うつやかな娘・京都
       おちょがんさん・兵庫県三原
       いいつらしといる・蔵王
       ごんたさん(人形)のごとあいらしか・筑後
(ちくご)
       い なんかさっさ・(他人の顔などどこかへ消しとんでしまうほど器量がよい)・アイヌ



標準語だと、作者にとってはまるでよそ行きの表現になってしまう。普段着の言い方でないと、自分の気持ちを生き生きと表現できない、というのが作者の主張です。
古語が方言の中では、その地域の現役の言葉として行きている例が多い。方言が卑しいとは言語道断。明治以来の日本語を統一しようとした無理の後遺症だといいます。役所による地名変更の弊害と同じだと。

例えば、愛媛県の方言で、「ひょっとおどろいたら、雨はもうやんだいた」という表現があります。これは、「おどろく」の古語の意味がゝ泙北椶鬚気泙広急に気づく、であるからです。有名な和歌、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかされぬる」も、風の音で急に気がついた、の意味になります。

(地名注)横手:秋田県、かまくら、雪祭り
米子:鳥取県、大山登山口
玉野:岡山県、高松へのフェリー港
宇佐:大分県、宇佐神宮
魚津:富山県、蜃気楼とホタルイカ
明石:兵庫県:日本標準時子午線(東経135度)
南予:愛媛県、伊予、削り節
益田:島根県、雪舟ゆかりの地
鳥羽:三重県、ミキモト真珠島
蔵王:宮城県、スキー場
筑後:福岡県、ゲンジホタル

川崎洋にとっては、悪口も方言と同じく、日本語表現の多彩さと豊かさを現わすものでした。その研究成果として、『悪態採録控』があります。あらゆる文芸、伝統芸能から悪口を拾い集めました。悪口はただ悪いだけでなく、悪口が帯びているダイナミズムが、我々の言語生活、我々の生そのものに活力を与えてきたという信念があるからだといいます。


       
悪態採録控 ( あくたいさいろくびかえ )

      【小説篇】
         樋口一葉――たけくらべ
      薄馬鹿野郎め弱虫の腰ぬけの活地
(いくじ)なしめ
      意地悪の根性まがりのひねっこびれの
(ども)りの

         夏目漱石――坊っちゃん・我が輩は猫である
      ハイカラ野郎のペテン師のイカサマ師の猫 ( かぶ ) り香具師のモモンガーの
      岡っ引きのわんわん鳴けば犬も同然な奴
      夏分の水飴のようにだらしがない
      オタンチン、パレオロガス

      【江戸落語篇】
      五代目古今亭志ん生―― ( あわび ) のし、お直し、火焔太鼓、茶釜
      ぼォ…ッとこの、ついでに生きてるような人
      借金が着物を着ているよう

      【上方落語篇】
         夢八(ゆめはち)
()
      ちょっと見たらぬけてるのかいな、じーと見たら足らんのかいな、考えて
      みると馬鹿かいな、つきおうてみたら阿呆やった

      【狂言篇】
      墨塗(すみぬり)
()
      さてもさても憎い事かな。あの女は真実泣くかと存じたれば、側に水を置いて、
      それを眼へ塗って泣く顔を致す


【メモ】川崎洋 1930126 - 20041021
東京都出身。1944年福岡に疎開。八女高校卒、父が急死した1951年に西南学院専門学校英文科(現:西南学院大学)中退。
上京後は
横須賀の米軍キャンプなどに勤務した。
1948年頃より詩作を始め、1953年茨木のり子らと詩誌「櫂」を創刊。谷川俊太郎らを同人に加え、活発な詩作を展開した。その傍ら、1971年には文化放送のラジオドラマ「ジャンボ・アフリカ」の脚本で、放送作家として初めて芸術選奨文部大臣賞を受けた。1987年には詩集「ビスケットの空カン」で第17回高見順賞。1998年、第36回藤村記念歴程賞を受賞。1955年詩集『はくちよう』を刊行。1957年から文筆生活に入る。
日本語の美しさを表現することをライフワークとし、全国各地の方言採集にも力を注いだ。また1982年からは読売新聞紙上で「こどもの詩」の選者を務め、寄せられた詩にユーモラスであたたかな選評を加え人気を博した。
作曲された詩は数多い。歌の作詞経験も豊富で、NHK全国学校音楽コンクールでは4回作詞を担当(「きみは鳥・きみは花」「家族」「海の不思議」「風になりたい」)。                   (ウェブ百科事典「ウィキペディア」)

 
| 川崎洋 | 14:25 | comments(0) | trackbacks(0)
川崎洋 1
第1話 はなし言葉の詩人



      ほほえみにはほほえみ

       ビールには枝豆

       カレーライスには福神漬け
       夕焼けには赤とんぼ
       花には嵐
       サンマには青い蜜柑の)
       アダムにはいちじくの葉
       青空には白鳥
       ライオンには縞馬
       富士山には月見草
       塀には落書
       やくざには唐獅子牡丹
       花見にはけんか
       雪にはカラス
       五寸釘には藁人形

       ほほえみにはほほえみ

 

                 詩集『ほほえみにはほほえみ』1998年




朝日新聞のコラムに、本屋で現代詩を立ち読みしても、普通の想像力では到底ついていけないイメージの飛躍があるが、川崎洋の「はなし言葉」の詩は、すっと入り込める気安さがあると書かれています。

 

「はなし言葉」を信条とする川崎洋の代表作を集めた詩集『ほほえみにはほほえみ』(童話屋)は信濃毎日新聞のコラム「斜面」に紹介されました。

「ちょうどポケットに入る大きさだ。どこを開いてもいい言葉に出合う。川崎さんは、軟らかい表現、優しい叙情性豊かな詩で、戦後詩を代表する世界を切り開いている。詩の一つひとつに心が洗われる。元気がわく。きっと屈折した思いの出口が見つかる」

 

詩集『ほほえみにはほほえみ』は、全編、本屋で立ち読みできるような詩ばかりです。「詩はほろ酔いで書け」という言葉を恩師から教わりました。これは伸びやかな自由な精神で書くという意味です。その意味で、川崎洋の詩はほろ酔いの精神で綴られたといってもいいでしょう。


 

      詩は たぶん


       詩は たぶん

       弱者の味方

       ためらう心のささえ

       屈折した思いの出口

       不完全な存在である人間に

       やさしくうなずくもの

       たぶん

 

 

      地下水


       チーズと発音すれば 笑い顔をつくる事
       ができます でも ほほえみはつくれま
       せん ほほえみは気持の奥から自然に湧
       いてくる泉ですから その地下水の水脈
       を持っているかどうか なのですから

       めったに笑わない顔があります でも
       澄んだきれいな眼をしています いつも
       遠くをみつめていて なんだか怒ってい
       るような表情です しかし彼は怒ってい
       るのではありません 地下水の水脈に水
       を溜めている最中なのです

       水が満たされて 彼がほほえむのはいつ
       の事? 誰に対して?
       たぶん そのために 明日があります

 

              詩集『ほほえみにはほほえみ』


 

作品「詩は たぶん」は、〈たぶん〉という、へりくだったボカシ方がおしゃれです。詩人の数だけ詩に対する様々な考えがあると思いますが、きっと誰もがいずれかの詩行にうなずくのではないでしょうか。

「地下水」とは、微笑みという花が顔に開くまでの熟成の時間、という風に私は考えます。人が微笑みを浮かべるまでには、幾多の人生の試練とそれを乗り越えるまでの長い長い努力の時間が必要ではないでしょうか。

                             (この稿続く)

      

 

| 川崎洋 | 11:52 | comments(1) | trackbacks(0)
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