大倉昭美 6
 第6話 読者の負担を減らす

 

       樹は眠れない

 

 

     樹は闇に立ちつくしている

     今夜は犬の遠吠えも聞こえてはこない

     闇が深くなっていくのがわかる

 

     ひとつの枝に

     蓑虫(   みのむし)のようにぶらさがっている寂しいものの重さ

     樹下に伏している手折(たお)られた百合のかたち

 

     すべてを見てしまったことに

     樹は耐えている



 

樹下で縊死(いし)したと推測される二体の凄惨な状況を描いたものです。死の現状を直接描くのではなく、〈蓑虫のようにぶらさがっている寂しいものの重さ/樹下に伏している手折(たお)られた百合のかたち〉という優れた比喩表現を使ったことで、より一層恐怖感が募る効果を上げています。

 

大倉さんは、カンボジアの大量虐殺事件に触れた「失われた村」、戦下での女性の受難を扱った「写真からの伝言」(以上、詩集『樹は眠れない』)など、社会的、歴史的事件から題材を採った作品もあまたあります。いずれも間接的な描写法で、残酷な題材から受ける読者の心理的負担を減らし、高度な芸術作品へと昇華させています。
                              (この稿 完)


| 大倉昭美 | 18:03 | comments(2) | trackbacks(0)
大倉昭美 5
 第5話 雨の反戦詩


       バルバラ

 

 

     〈思いお出しよバルバラ

     あの日のブレストには雨がこやみなく降ってた〉

     朗読の声が流れるビルの一室

     大きな窓ガラスの向こう

     窓の高さと同じ銀色の空に鳩がよぎる 幾度も

     斜めに広げた羽の刻みが見える近さで

     雨はこやみなく街に降っている

 

     朗読に聴き入るひとびとのなか

     私はひとり耳を傾け坐っているような

     窓を打つ雨にひとりでぬれているような

 

     〈ぼくが「おまえ」とよんでも気にしないでおくれ

     一度しか会わないひとにでも

     好きなひとには「おまえ」とよぶ〉

     流れる声に探す 過ぎて行ったひと達を

     ひびく声に合わせて 私が呼ぶひとはいなかったかと

     ぬれているビルの屋上を眺めながら
 

     〈ブレストにはむかしながらに

     雨はこやみなく降っているけれど〉

     呼びかけるひとのいない私にも雨は降っている

     〈もはやのこるものはない なんにも〉

     朗読の声が余韻を残して消える



 

原詩である同タイトルの「バルバラ」の作者は、ジャック・プレヴェール(Jacques Prévert1900241977411)です。フランスの民衆詩人、映画作家、童話作家であり、シャンソン『枯葉』の詞や、映画『天井桟敷の人々』のシナリオを書きました。「バルバラ」はイブ・モンタンが朗読し、レコード化。訳者の平田文也はレコードを聴きながら言葉の調べ(トーン)を調えたそうです。

 

恩師の高田敏子先生は、「ある雨の日、町で見かけた美しい娘、その名はバルバラ、ゆきずりの娘の名を知ったのは、彼女の恋人がそう呼びかけていたから。反戦詩というにはあまりに美しい。それだけ一層、戦争の残虐さを私たちの心の深みに語りかけてくる」と述べています。

 

作中の「ブレスト」とは、フランス大西洋岸の港町。第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けた所です。第二次大戦中、ナチス占領下のフランスでプレヴェールはこの反戦詩を書き、ラジオで朗読までしたと伝えられています。(以下に原詩を紹介)

 

大倉さんの「バルバラ」は原詩の哀しい調べに自らの心象風景を巧みに重ねた佳品です。〈流れる声に探す 過ぎて行ったひと達を/ひびく声に合わせて 私が呼ぶひとはいなかったかと〉、〈呼びかけるひとのいない私にも雨は降っている〉の詩句が胸に切なく響きます。


 

      バルバラ

                 ジャック・プレヴェール

                 平田文也 訳

 

     思いお出しよ バルバラ

     あの日 ブレストには雨がこやみなくふってた

     おまえはほほえみながら歩いてた

     はなやかに うれしげに ひかりかがやき

     雨のふるなかを

     思いお出しよ バルバラ

     ブレストには雨がこやみなくふってた

     ぼくはおまえにシアン通りで行きあった

     おまえはにっこりほほえんだ

     ぼくもにっこりほほえんだ

     思いお出しよ バルバラ

     おまえをぼくは知らなかった

     ぼくもおまえを知らなかった

     思いお出しよ

     思いお出しよ ともかくも あの日のことを

     忘れないでおくれ

     ポーチにひとりの男が雨やどりしていて

     おまえの名をよんだ

     バルバラ

     おまえは雨のなかをかれの方にかけよった

     はなやかに うれしげに ひかりかがやき

     そしてかれの腕のなかに身をなげた

     思いお出しよ あのことを バルバラ

     ぼくが「おまえ」とよんでも気にしないでおくれ

     一度しか会わないひとにでも

     好きなひとには「おまえ」とよぶ

     たとえ知らないひとにでも

     愛しあうひとにならみんな「おまえ」とよぶ

     思いお出しよ バルバラ

     忘れないでおくれ

     あのしめやかな しあわせな雨を

     しあわせなおまえの顔に

     しあわせなあの町にふってた雨を

     海の上

     兵器庫の上

     ウェサン通いの船の上にふってた雨を

     ああ バルバラ

     戦争なんて なんてばかげたことだ

     おまえはいまごろどうしているのだろう

     この鉄の雨

     火の 鋼鉄の 血の雨のなかで

     そして いとしげに

     おまえをだきしめたあの男は

     戦死したのか 行方不明か それともまだ生きているのか

     ああ バルバラ

     ブレストには むかしながらに

     雨はこやみなくふっているけれど

     もうむかしのそれとは同じでなく すべてのものがいたんでいる

     すさんだおぞましいとむらいの雨だ

     もう嵐ではない

     鉄の 鋼鉄の 血の嵐でもない

     ただの雲

     犬のように死んでゆく雲

     ブレストの水の流れのままに

     消えうせて やがては

     とおくでくさってしまう犬のように

     ブレストからとおく ずっととおくで

     もはやのこるものはない なんにも


                              (この稿続く)






| 大倉昭美 | 09:26 | comments(0) | trackbacks(0)
大倉昭美 4
 第4話 花言葉がテーマ


     階段

 

 

 

     いつ雨になったのかしら

     ぬれている舗道で

     私はひとを振り返った

     ひとは私の方は見ないで

     雨になっていたのか と言った

 

     私達に似合っている

     こぬか雨降る

     赤い提灯のあちこちにぶら下がっている通りを

     傘もささず肩をならべて

     けれども人ひとりの距離をおいて歩く

 

     一緒にいるとき私は黙っているのが好きで

     ひとも黙って盃を重ねる

     話せば私は聞いてはいけないことを聞くだろうし

     盃を多く早くひとは重ねるだけなのだから

     雨はいつ降りはじめたのだろう

 

     高架線を走る電車と駅の見える角までくると

     ひときわ明るい花の店がある

     そこで私は立ち止まってため息をつくのがくせ

     はなやかすぎて淋しい

     淋しさをもとめるのはためらわれて

     花を手にすることはない

 

     今夜はひとが足をとめた

     あの花は?

     トルコ桔梗よ

     いい花だ 好きだなとほほえんだ

     駅はもう目の前

     ひとは好きだとほほえんだけれど

  半(     なかば閉じたかたちにしか花を咲かせないトルコ桔梗

     改札をくぐれば今夜も別べつの階段をのぼる

 

                  *トルコ桔梗……憂愁




 

これも詩集『あなたへの言伝』所収の一篇です。まず、〈ひと〉というナイーブな呼び方に注目してみましょう。恋人、彼(彼女)、男(女)、あなた――いずれでもない柔らかな語感に、作者の洗練されたセンスを感じます。

 

〈人ひとりの距離をおいて歩く〉男女の微妙な距離感。甘くなく、乾いてもいず、まるでトレンディードラマのワンシーンを彷彿(ほうふつ)とさせます。そして読者に自分もそんな微妙な距離を保って歩いた雨の夜があったかのような思いに誘います。

 

この詩集は、個々の作品のテーマが末尾に添えられた花言葉というしゃれた趣向となっています。凝った工夫による演出だけに、下手をすると作り物の印象を与え兼ねません。ところが、「階段」がリアリティーを失わずに読者を作品世界に引き込むのはなぜでしょう。

 

それは、〈高架線を走る電車と駅の見える角までくると/ひときわ明るい花の店がある〉、あるいは、〈私達に似合っている/こぬか雨降る/赤い提灯のあちこちにぶら下がっている通り〉という都会の情景。また、〈私はひとを振り返った/ひとは私の方は見ないで/雨になっていたのか と言った〉、〈今夜はひとが足をとめた/あの花は?/トルコ桔梗よ/いい花だ 好きだなとほほえんだ〉という自然な会話。

これらが緻密に計算され組み合わされ、生活実感に裏打ちされた作品世界を形作っているのです。

                                (この稿続く)





| 大倉昭美 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(0)
大倉昭美 2
 第2話 最後の言葉


    童話

 

 

    眼が見えなくなる

    ゆっくりだけれど 見えなくなる日がくると白衣(はくい)の先生が言った

 

    眼の見えなくなったときひとつのことを言おう

    〈あなたが好きでした〉

    好きなひとの見えなくなったとき

    ひまわりを見上げている少女のように明るく

    〈あなたが好きでした〉

 

    見えていたときには言えなかった言葉を

    一度だけ言う それから忘れてしまおう

 

    見えなくなった眼に咲くひまわりは

    闇にいつまでも寂しいだろう


 

おそらく作者の闘病中の作品かと思われます。失明の恐れがあることから、重篤(じゅうとく)(やま)いが推測されます。この作品が発表された頃、私は大倉さんが患っていたことに気づきませんでした。作中の事柄も本人のことではなくフィクションであろうと気楽に構えていました。今振り返ると自分の迂闊(うかつ)さが悔やまれてなりません。

 

作品そのものには病気の深刻な影はありません。自分の運命を受け入れた覚悟と哀しみが透明感をもって描かれています。そこに高貴な品格が香り立ちます。

なお、「童話」というタイトルには、失明を前に告白しようなんて、少女のように幼く、たわいもない話という作者の恥じらいが秘められているように思います。

                               (この稿続く)



| 大倉昭美 | 12:10 | comments(0) | trackbacks(0)
大倉昭美 1
第1話 早世の詩人

大倉昭美(おおくら・あきみ)さんは、私と共通の師である高田敏子に学んだ詩友です。これから詩壇の第一線で活躍が期待される途次、病のため1990(平成2)年に50歳で亡くなりました。生前の詩集は二冊しか残されていませんが、いずれも極めて完成度の高いものです。

処女詩集『樹は眠れない』は戦死した父親への鎮魂の思いが込められ、第2詩集『あなたへの伝言(ことづて)』は詩の領域を越えて、小説と詩の融合を試みた詩的ドラマといってよい、新たな創造世界への挑戦でした。

 

社会派作品から男女の微妙な心情まで、多彩な詩の世界を築いた詩人の才を惜しみ、皆さんと共に早世した詩魂を蘇らせたいと思います。



     錆びた水

  

 

     丈(たけ)二、三○メートルの藻は海底を林になって繁茂している

     藻は海流の動きに右に左にうねり揺れて

     重たく苦しげだ

     藻の根元をぬって 流れのままに転がっている

     されこうべ

 

     泥流を巻き上げて 崩れていく錆びた(ふね)から

     転がりさ迷い出たされこうべ

     気の遠くなる時を耐えて

     暗い瞳と 嗚咽(おえつ)を呑み込みつづけている口は

     魚も覗かぬ洞窟

     海底を流されて藻の林の中へ

 

     朽ち錆びていく艦が泥になる時を

     されこうべは待っていた

     泥に埋もれて艦と共に土に還っていく自分を

 

     藻の林を転がりながら

     暗い瞳は錆びた水をたたえ

     兵士は 嗚咽を呑み込みつづけている


 

恩師高田敏子先生は、詩集『樹は眠れない』の序文で、「(大倉さんは)身の上話的なことを話題にされたことはありません。それは作品の世界をそれだけ大切にされていることでもあって、私にはその気持ちがわかる思いなのです。さらりとした顔を普段はしていたい、それが大倉さんの生活態度であり、詩心の深さであるといえるのでしょう。てきぱきとした明るさ、細やかな心のとどかせ方で、大倉さんは私に接して下さって、多分家庭生活もそうして過ごされていることが想像されます。が、心の奥底には、父上の戦死された海底の冷たさがひろがっていられるのでしょう」と、作者の哀しみの深さを思い()っています。

 

「錆びた水」の迫力は、海底に広がる戦慄的なイメージによるものですが、その高度な情景描写を支えているのは、作者の比類のない〈想像力〉です。誰も覗いたことのない海底の情景を迫真的な筆致で描けるのは、想像力のなしうる技でしょう。

 

詩人城侑(じょう・ゆう)の添え書には、「回想的、追想的な書き出しの詩も多いが、読んでいるうちに現実の世界へ引き込まれていく自分をぼくは感じた。過去形だった文体が、いつのまにか現在進行形と変わっていくあたりに、主題への思いの深さを現しているようにも思った」と記されています。この現在進行形とは、〈暗い瞳は錆びた水をたたえ/兵士は 嗚咽を呑み込みつづけている〉という箇所を指します。

海底の惨状が過ぎ去った過去の出来事ではなく、今も戦争の悲劇が続いていることを現在進行形は(にな)っているのです。学ぶべき詩法でしょう。

                             (この稿続く)


 

 

| 大倉昭美 | 11:23 | comments(0) | trackbacks(0)
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