場の力
 『奈良少年刑務所詩集』は新聞記事で知ったのですが、それは今年の2月でした。
私も先入観があったので、どんな詩が書かれているんだろうかと好奇心だけで購入してみました。

いい意味で私の期待は見事に外れました。作品のレベルの高さに驚かされましたが、私にとって一番の収穫は、編者・寮美千子さんの説く「場の力」のすごさを再認識したことでした。

一般的には、詩の言葉とは思えないものでも、周りの仲間が温かい感想を言い、本人を励ますことで、何でもない言葉が、詩の言葉に変わるという不思議です。

私が開いている詩の教室でも、初心者の作品が回を重ねるにつれて上達していきますが、私は今まで多少は講師の力も手助けになるのか、と自負していました。でも、『奈良少年刑務所詩集』の後書きを読んで、詩をうまくさせるのは講師の指導力というよりも、教室に集う仲間の力――「場の力」が大であることを悟りました。

講師は単に、より良い「場」を提供するナビゲーターなのです。みんなが気持ちよく意見を言える雰囲気作りを心がければいいのだと思います。

私はもう10年以上、詩の教室の活動を続けていますが、受講者の皆さんと一緒に詩を読むのが、あまりに当たり前のことになっていて、「場の力」については意識していませんでした。

本当に目から鱗の思いでした。


| 諸詩集 | 10:27 | comments(0) | trackbacks(0)
奈良少年刑務所詩集 その3
 授業を通して、寮さんが強く感じたのが、「芸術の力」でした。特に、詩に関しては、詩に対する考え方が変わるほど衝撃を受けました。彼らの詩が、たとえ世間で言う「詩」に似ていなくても、それは日常の言葉とは違う言葉です。普段、語る機会のないことや、めったに見せない心のうちを言葉にし、文字として綴り、それを声に出してみんなの前で朗読する。

その一連のプロセスは、どこか神聖なものです。仲間が朗読する詩を聞く時、受講生たちは、みな耳を澄まし、心を澄ます。普段のおしゃべりとは違う次元の心持ちで向き合います。すると、たった数行の言葉が、百万語を費やすよりも強い言葉として、相手の胸に届いていきます。その「詩の言葉」が、人と人とを深い次元で繋ぎ、人を変え、心を育てていく。

日常の言語とは明らかに違う神聖な時間、静謐(せいひつ)で精神的な時間。出来不出来など、関係ありません。うまいも下手もない。「詩」のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する「場」を持つだけで、それは本物の「詩」になり、深い交流が生まれるのです。

大切なのは、人の言葉の表面ではなく、その芯にある心に、じっと耳を傾けること。詩が、ほんとうの力を発揮できるのは、実は本のなかではなく、そのような「場」にこそあるのではないか――寮さんはそう悟るものがあったといいます。

寮さん自身、詩を書く者であるのに、詩の言葉をどこかで信用していませんでした。詩人という人々の弄
(もてあそ)ぶ高級な玩具ではないか、と思っている節さえありました。どころが、詩の教室をやってみて、「詩の力」を思い知らされました。

全国の小学校や中学校で、このような詩の時間を持てたら、どんなにかいいことかと寮さんは願っています。詩人の書いたすぐれた詩を読むだけが、勉強ではない。すぐそばにいる友の心の声に、耳を澄ます時間を持つ。語り合う時間を持つ。それができたら、子どもたちの世界は、どんなに豊かなものになるだろうか、と。


授業の成果として一昨年秋、詩の一部を刑務所で開かれた「矯正展」で展示した所、反響が大きく、本書の刊行が決まりました。社会性涵養プログラムも高い評価を受け、講師の一人である寮さんには各地から講演依頼が続いています。


【メモ】寮
(りょう) 美千子(みちこ)1955年〜 )童話作家・絵本作家・小説家・詩人。千葉県立千葉高等学校卒。中央大学文学部中退。外務省、広告制作会社勤務、フリーランスのコピーライターを経て、1986年、毎日童話新人賞、童話作家としてデビュー。2006年以降、奈良市在住。2005年、大人を主人公とした処女小説『楽園の鳥 カルカッタ幻想曲』(講談社)が第33回泉鏡花文学賞。2007年より奈良少年刑務所社会性涵養プログラム講師。2010年、授業の成果を編纂した『空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)を刊行。2010年より奈良佐保短期大学非常勤講師。「哲学と人生」担当。

| 諸詩集 | 17:35 | comments(2) | trackbacks(0)
奈良少年刑務所詩集 その2
ひどく内気で自信がなかったE君は、彼の趣味が魚釣りで、魚に詳しいということがわかりました。そこで、魚の話題を彼に振ってみると、みるみる積極的になり口で説明しづらいと感じると、黒板に図を描いて堂々と解説できるほどになりました。

授業後も「工場でも、見違えるようにしっかりして、みんなとうまくいくようになっている」と刑務官から報告があったといいます。「E君が、あんなふうに変わったなら」と、自ら志願して、この社会性涵養プログラムを受けたいと申し出る者も出て来ました。

足を広げてふんぞり返っていたO君は、俳句をほめられたことをきっかけに、腰かける姿勢まで変わってしまいました。授業に興味を持って、身を乗り出すようになりました。寮さんは我が目を疑い、ビギナーズ・ラックで、偶然うまくいったのだと思っていました。ところが、効果が上がらなかったクラスは皆無で、ほとんどの受講生が、明るい、いい表情になってきて、工場の人間関係もスムーズになりました。

統括官が言ったように、彼らは一度も耕されたことのない荒れ地でした。ほんのちょっと鍬を入れ、水をやるだけで、こんなにも伸びるのです。他者を思いやる心まで育つのです。彼らの伸びしろは驚異的です。出発地点が、限りなくゼロに近かったり、時にはマイナスだったりするから、目に見える伸びの大きさには、目をみはらされるのです。

このような教育を、もしずっと前に受けることができていたら、彼らだって刑務所にこなくても済んだのかも知れません。被害者も出さずに済んだのかも知れません。「弱者」を加害者にも被害者にもする社会というものの歪みを、無念に思わずにいられないと、寮さんは訴えます。



| 諸詩集 | 17:29 | comments(0) | trackbacks(0)
奈良少年刑務所詩集 その1
 これから綴る文章は、『奈良少年刑務所詩集』の後書きを引用して、私が再構成したものです。できれば、本詩集に目を通されることをお奨めします。

受刑者の教育統括官の話によると、彼らの心は「情緒が耕されていない。荒れ地のまま」だといいます。

「家庭では育児放棄され、まわりにお手本になる大人もなく、学校では落ちこぼれの問題児で先生からもまともに相手にしてもらえず、かといって福祉の網の目にはかからなかった。そんな、いちばん光の当たりにくいところにいた子が多いんです。ですから、情緒が耕されていない。荒れ地のままです。自分自身でも、自分の感情がわからなかったりする。でも、感情がないわけではない。感情は抑圧され、溜まりに溜まり、ある日何かのきっかけで爆発する。そんなことで、結果的に不幸な犯罪となってしまったというケースもいくつかあります」

童話や詩を通して情緒を耕す授業は、月一回のペースで半年間、計6回行われました。生徒は10人前後で20代前半の若者が中心でした。当初、彼らの授業態度は、ふてぶてしく座り込んだり、今にも逃げ出すかのようにびくびくしていたり、表情がなかったり、といった姿でした。

授業の進め方は、始めに寮美千子(詩の授業の講師で本詩集の編者)さんの書いた童話を皆で読み、主人公の姿に扮して演じます。
子どもの頃から、教師から見放され、授業で当てられることもなく、ただ教室の片隅にいた子どもたち。それがここで初めて「主人公」として人前に立ち、演じるのです。小さなことですが、その達成感が頑(かたく)なな彼らの心をほぐすきっかけとなるといいます。

皆が打ち解けてきた所でいよいよ詩を書いてもらいます。書きたいことが見つからない場合は、好きな色について書いて発表し、仲間で合評します。

「誰一人、否定的なことは言わないんですね。朗読をきちんと聞き、終ったら拍手し、共感したことを声に出して言う。密度の高い『場の力』と言ったらいいのでしょうか」と寮さん。

こうした経験を通して、子どもたちは魔法にかかったように、大きく変わっていきました。


| 諸詩集 | 17:16 | comments(0) | trackbacks(0)
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