クミコ――深い言葉を歌う 2
 

       届かなかったラヴレター 作詞:覚和歌子 作曲:三木たかし

 

     あの日とおなじ 空に出会うたび

     泣きそうになる 私がいる

     よく晴れた 坂の途中

     振り向いて 微笑んだ人

 

     それは他愛もないくせに

     かわりのきかない日々でした

     一粒の勇気 それさえあったら

     こんなに悔やまないのでしょう

 

     ごめんなさい ありがとう

     ずっとあなたを 愛していました

     声を枯らして叫んでも

     もう届かない言葉たち

     もう届かないラヴレター

 

     残されたのは からっぽのからだ

     取り戻せない あなたのぬくもり

     ガラス越しの 日だまりの中

     ここから先は ひとりの明日

 

     それは他愛もないくせに

     抱きしめたいよな日々でした

     こんなに悔やんで 悔やみきれぬまま

     それでも 生きていくのでしょう

 

     ごめんなさい ありがとう

     ずっとあなたを 愛しています

     声を枯らして叫んでも

     もう届かない言葉たち

     もう届かないラヴレター

 

 

この歌を作詞した覚和歌子(かくわかこ)1961年〜)、本名:川越博子(かわごえ ひろこ)は、山梨県出身の作詞家、詩人。早稲田大学第一文学部卒業。夫は、落語家の入船亭扇辰。

2001年『千と千尋の神隠し』主題歌『いつも何度でも』の作詞で第43回日本レコード大賞金賞。2008年公開の『崖の上のポニョ』ではオープニング主題歌『海のおかあさん』を作詞しています。

 

この歌が生まれたのは、一冊の本からです。一般公募によって、初恋の人や家族へ感謝の思い、どうしても「好き」と言えなかった片思いのあの人へ寄せられた 3,000点以上の“ラヴレター”から186作品を厳選、単行本となった同名のベストセラーです。後に、映画『引き出しの中のラヴレター』の原作にもなりました。

“人生を詩で語る歌”の力に違いありません。

 

(動画はYouTubeより転載)

2009年公募の『届かなかったラブレター』大賞作品を参考に載せておきます。

 

〜りえさんのラブレター〜 

『数年前に父が逝った。

 通夜の晩に弟から渡されたのは、未だ書きかけの便箋でした。

「○○、体の具合はどうだ。お前は何にも言わないけれど、父さん知ってたよ、死んだ母さんと同じ病気なんだろ? 真夏に長袖着て隠していたけど、どう見てもあれは普通の体じゃないって誰が見たって分かるんだよ。

飲めない酒で誤魔化して、食べたくないのに無理して食べる。そんな性格、母さんにそ

っくりだ。だから病気になっちゃうんだよ、バカだなぁ。

父さん、母さんにお願いしてた。まだ迎えに来るな。あいつは今から幸せにならなくちゃいけない。だから見守ってやってくれないか・・」

手紙はここで途切れてた。病室で自分の死を前にして一生懸命書いたのでしょう。

字は震え、涙の跡が残ってた。私がようやく健康な体を取り戻したのは、父が亡くなっ

て暫らくしてからの事でした。父からのプレゼントだったのでしょうか。

そして父からの、最初で最後のラブレターでした』

 

クミコが『届かなかったラヴレター』にメッセージを寄せていますので引用します。

「年を重ね後ろを振り返るといろんな顔が見えてきます。

 ああもいいたかった、こうもいいたかったと後悔だけが胸に溢れます。

ふと気づきました。ホントにいいたいのは「ごめんなさい」と「ありがとう」の二つだけなんだと。そして「ごめんなさい」と「ありがとう」をくり返して人は明日を生きていくんだと。

「届かなかったラヴレター」を唄ってみて、そんなことを思いました」


 

【クミコ・プロフィール】

1954926日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒。

1978年 「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。

1982年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格。プロとしてスタート。

1999年 作詞家・松本隆氏と出会う。

20008月 松本隆氏・鈴木慶一氏共同プロデュースによる、シングル「接吻」をリリース。920日 アルバム「AURA アウラ」リリース。“大人のポップス”を提唱し、話題となる。

2002年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。

2007年 デビュー25周年を迎え、70年代の名曲をカバーした「十年 〜70年代の歌たち〜」をリリース。中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」も収録されている。

翌年3月、ニューアルバム「友よ!〜あの出発(たびだち)を“青春”と呼ぼう〜」を発売、全国ツアーを開催。

20092月、シングル「届かなかったラヴレター」をリリース。三木たかし氏の遺作として話題を集めた。今年2910日には、徳光和夫らと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また210日、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバム「『届かなかったラヴレター』ソングブック」をリリース。2 24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリース。

現在、ライブ・コンサート、エッセイ執筆、テレビ・ラジオ出演等、あらゆる方面で活躍中。(ウィキペディアを基に構成)


| クミコ | 11:13 | comments(0) | trackbacks(0)
クミコーー深い言葉を歌う 1

20年近く陽の当たらない場所で歌い続け、48歳でブレイクしたシャンソン歌手がいます。彼女の歌を聞くと涙が止まらなくなる多くのファンがいます。

歌手の名はクミコ。シャンソンは、本当に深い言葉を歌っていると彼女は語っています。さらに、希望、ある種の人間讃歌などを日本語の言葉を大切にして歌いたいとも。

日本語を大切に扱うことは、歌というジャンルを越えて、まさに“詩”ではないでしょうか。今回は、クミコの歌に耳を傾けながら、詩的な感動を味わって戴ければと思います。

 

クミコの経歴は、24歳の時、「ヤマハ・ポプコン」本選会と「世界歌謡祭」に出場するも夢破れ、その後長い間小さなスペースで少数の熱心なファンや永六輔などの支援者に支えられながら唄い続けてきました。世に出る最初の扉が開かれたのは2000年。

「街角の歌姫」クミコの唄に感動した作詞家・松本 隆がプロデュース・全編作詞したアルバム『AURA』でした。

そして広く世に知られるようになったきっかけは、バルバラのシャンソンに詩人の覚和歌子が原詞を離れて作詞した「わが麗しき恋物語」という曲で48歳の時でした。

その後も覚和歌子作詞になる「わたしは青空」(作曲/三木たかし)、「さよならを 私から」(作曲/荻原慎太郎、佐々木聡作)、「人生のメリーゴーランド」(作曲/久石 譲)などの話題作が続いています。2007年には「十年〜70年代の歌たち〜」をリリース、70年代の歌10曲をクミコ風に染め上げ、また中島みゆき書き下ろしの「十年」が大きな話題となりました。20092月には手紙の朗読と唄で綴る舞台、”ミュージカル仕立ての歌語り「届かなかったラヴレター」”を成功させました。


この時、舞台に合わせて作られた「届かなかったラヴレター」(作詞/覚(かく)和歌子、作曲/三木たかし)は作曲家・三木たかしの遺作となりました。

シャンソン歌手と形容されたりしますが、とてもその枠には収まりきれません。美しく明晰な日本語で、ジャンルにこだわらず本当に唄いたいものだけを唄い、独特の「クミコ・ワールド」を築いてきたのです。語るような唄い口から、聴く者には歌詞の情景が生き生きと見えてきます。大人が聴いて感動を覚える数少ない歌手だと思います。


 

       私は青空  作詞:覚和歌子 作曲:三木たかし

 

     思いもよらない 別れの午後は

     ありがとうも さよならも

     何ひとつ 言えずじまい

     ふいに途切れる 人生だったら

     もっとやさしく すればよかった

 

     強いふりして こらえるあなた

     こんな ときぐらい

     声上げて 泣いたらいい

     やつれた頬を はさんだ 両手

     名残のキスぐらい 気づいてよ

 

     青空

     祈りの言葉に 私はほどけて溶けてく

     青空

     あきらめきれない気持ちのままで

 

     笑って泣いた ふたりの暮らしは

     あまりにも ささやかで

     いとおしむ 間もなくて

     一秒ごとが 宝石だったと

     なくしてはじめて 気づくのね

 

     見果てぬ夢を 数えたままで

     そよ風 揺れたら

     梢から 旅立つの

     また会えたら そのときはもう

     抱きしめてはなさずに いてほしい

 

     青空

     過ごした時間の長さじゃ はかれぬ仕合せ

     青空

     あなたに出会えて ほんとによかった

 

     青空

     祈りの言葉に 私はほどけて溶けてく

     青空

     いつでもここから あなたを見てる

 

     青空

     いつでもここから あなたを見てる


 

この歌には美しいメロディーとは裏腹に酷(むご)い背景があります。クミコがテレビ番組で語った談話を紹介します。

「理不尽な悲しいニュースをよく耳にします。中でも一番ショッキングだったのは、長崎県の佐世保の事件です。小学6年生の女の子が同級生の女の子をカッターナイフで刺し殺してしまうという事件(20046月)でした。

被害者の女の子のお父様が新聞記者(毎日新聞佐世保支局長)だったために事件の当日に記者会見があったんです。その記者会見でお父様がものすごく冷静で気丈でいらして、その分、私たちは、彼にどれだけの苦しみ、哀しみ、憤り、怒りがあるのだろうと思いました。

そんなとき、こういう哀しみとは一体どんなものなのだろう。こんな事件が起きてしまう日本って一体どうなってしまったんだろう。そして音楽でやれる事はなんだろうと考えざるを得なくなったのです。そして生まれたのが「わたしは青空」という曲です。

“わたしは青空になっていつでもあなたのそばにいるから、そんなに悲しまないで”という歌なのですが、裏を返せば、ある日突然あっち側の世界に行かなければならなくなった故人の“想い”というものがあるということに思いが馳せられて、この曲は私にとって特別な歌になりました」

 

(動画は、 テレビ静岡2006114日放送の「テレビ寺子屋」。YouTube より転載

歌の冒頭に〈思いもよらない 別れの午後〉とあるのは、惨劇が起こったのがお昼過ぎだったからだそうです。〈強いふりして こらえるあなた/こんな ときぐらい/声上げて 泣いたらいい〉という歌詞も、記者会見で気丈にふるまった父親の姿を踏まえたものでしょう。

もちろん、すべてを現実を即して味わう必要はありません。愛(いと)しい者との絆を突然絶たれてしまった深い哀しみをうたった詩として鑑賞すればよいのですから。

 

〈青空/祈りの言葉に 私はほどけて溶けてく〉〈一秒ごとが 宝石だった〉〈そよ風 揺れたら/梢から 旅立つの〉など、暗記しておきたいほど美しい詩の言葉だと思います。

 

「青空」を聞く度に、シャンソンとは“人生を詩で語る歌”と私流に解釈しています。


【注】クミコの経歴についての解説はウィキペディアを基に構成しました。

                              (この稿続く) 



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