谷川 雁 4
 第4話 雨に濡れる時

          傘もなく

 

        傘もなく雨 午後の店 雨

        つめたい 首すじ

        百合を買うのは いまを売ること

        この手の くぼみに しずくをためよう

        靴にしむ雨

        葉書の 一文字(ひともじ)

        ながれうかび消えて

 

        傘もなく雨 鳩のむれ 雨

        ひとの名 ぬれてゆく

        霧を買うのは 影を売ること

        めがねの くもりを そのまま あるこう

        泥と襤褸(ぼろ) 雨

        この世は ただよう

        うすみどりの波に

 

傘を持ってない人はいないでしょうが、心の問題として、この世で今、雨が降っているのに自分には一本の傘もないと感じる時があります。現実の雨、現実の傘ではなく、象徴として  の雨と傘を歌う時、〈傘もなく〉という言葉が生きています。

 

〈つめたい 首すじ〉――主人公は雨の通りを歩いています。傘がないから首すじにぽとぽと冷たい滴が落ちてくる。〈百合を買うのは いまを売ること〉は象徴表現で、普通なら花を買うのは心を飾る豊かなことと思われますが、現在の何かはっきりしない曖昧な自分を、花を買うことで安易にごまかしてしまうのではないか。何か、いいかげんに自分を売り飛ばしてしまうのと同じではないだろうか。作者はそう考えるのです。                                            

〈この手の くぼみに しずくをためよう〉――百合を買うのが今の自分を売ることになるなら、花を買うよりも、雨に濡れながら手のくぼみに滴をためながら歩く方が、もっと何かを得ることになるのではないか。

 

〈靴にしむ雨/葉書の 一文字/ながれうかび消えて〉――古い靴なので少しずつ雨水が染み込んで来る。染み込んで来るのは、雨だけでなく、花を買うのは今という時間を売ることではないか、そんな思いもまた染み込んで来ます。

主人公は葉書をもらっているようです。多くは書かれてなくて、たった一文字書いてあったらしい。その一文字が心に掛かりながら、雨降る街の水っぽい空気の中で、葉書に滴が落ちて、文字が滲んで流れたり、雨に浮かび上がったりします。

この一文字は、何かを買うのは何かを売ることという考えに関わりのあるものなのかも知れません。

 

〈傘もなく雨 鳩のむれ 雨/ひとの名 ぬれてゆく〉――傘もなく雨の中を歩き続けて、鳩が雨に打たれながら地べたに群れて餌をついばんでいるのを眺めています。

ひとの名〉は、葉書をくれた人、あるいは自分自身。一人の人間が雨に濡れる時、濡れるのは身体であっても、名前までも濡れていくような寂しい気がするのです。

 

〈霧を買うのは 影を売ること〉――霧はどこにも売っていませんが、もし買えるものだったら、さっきの考えに従うと、何を売ることになるのでしょうか。それは自分の影を売ることになるかも知れない。自分の影を売るとは、自分自身の陰影、ニュアンス、自分の中に含まれている「ゆらぎ」を売ること――つまり、心の(かげ)り、繊細な感性、デリケートな情感といったものを売ってしまうことではないだろうかと、主人公は思い詰めます。

〈めがねの くもりを そのまま あるこう〉――影を売り渡すくらいなら、雨に濡れためがねを拭きもしないでそのまま歩いていこう。

 

〈泥と襤褸 雨/この世は ただよう/うすみどりの波に〉――この世は、泥とぼろと雨が混じって溶け合ったような(まるで今回の震災の惨状のような)感じで、うす緑の波に漂っているだけだ。

 

この歌について、雁は次のように語っています。

あまり希望に満ちた歌ではないが、人間にはつらさというものを正面にだして歌わなければならないときがある。そうすることによって、つらさをしのいでいくことが可能になる。つらさをそのまま歌ったような歌も必要なのです。

合唱曲集「白いうた 青いうた」の各詩には、作者による自作自註(新実徳英『うたの不思議』音楽之友社)がありますので、解説文を同書より引用して綴り、筆者のコメントを加えて再構成しました。


(参考文献)

 新実徳英『うたの不思議』音楽之友社

 

【メモ】

谷川 19231216199522日)

熊本県水俣市に六人兄妹の次男として生まれる。本名・(いわお)兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。熊本中学(現・熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校(現・熊本大学)を経て、1945年、東京大学文学部社会学科卒。戦後、西日本新聞社に勤務。「九州詩人」「母音」に詩を発表、安西均、那珂太郎などと交遊。

1947年、日本共産党に入党して活動、新聞社を解雇される。

1954年、第一詩集「大地の商人」刊行。

1956年第二詩集「天山」、1960年「定本谷川雁詩集」刊行、その“あとがき”で「私の中の『瞬間の王』は死んだ」として、以後詩作しないことを宣言。

1958年、福岡県中間市に移住。森崎和江、石牟礼道子らと雑誌「サークル村」を創刊し、炭鉱労働者の間で活動する。評論集「原点が存在する」「工作者宣言」などを発表。アジア的土俗的な地域性に根ざした特異なナショナリズム論と、「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆である」という工作者の思想によって注目を受ける。

1960年、安保闘争を機に共産党を離党。吉本隆明らと「六月行動委員会」を組織して全学連主流派の行動を支援する一方、地元の大正炭鉱を巡る争議で「大正行動隊」を組織して活動した。「多数決を否定する」「連帯を求めて孤立を恐れず」といった、個人の自立性、主体性を重視し既成組織による統制を乗り越えようとした組織原理と行動原理は、その後の全共闘運動にも大きな影響を与えている。

1961年、吉本隆明(吉本ばななの父)、村上一郎と思想・文学・運動の雑誌「試行」を創刊したが、8号を最後に脱退(「試行」はその後、吉本の単独編集となる)。評論集「戦闘への招待」発表。

1962年、吉本と「自立学校」を創設。

1963年、評論集「影の越境をめぐって」刊行。大正鉱業退職者同盟を組織して退職金闘争を展開。

1965年、闘争終息と共に一切の執筆活動を停止。語学教育を展開する「ラボ教育センター」 の重役に招かれて上京、創設に参加。組合との対立では、かつての左翼運動家谷川雁の「変節」が話題を呼んだ。以後、「らくだ・こぶに」の筆名で、同 センターの『ことばの宇宙』などに執筆。また、ラボ活動の素材となる「ラボ・ライブラリー」(英語・日本語の朗読つきの絵本)に、オリジナル童話や、 世界の童話や日本神話を翻案した作品を発表。また、間宮芳生、中西夏之、高松次郎、赤瀬川原平ら当時の前衛芸術家の作品とコラボレーション。ラボは長野県黒姫山麓に「ラボランド」を創立。

1978年、長野県黒姫山へ移住。

1981年、「ラボ教育センター」から離脱、「十代の会」を主宰。1982年には「ものがたり文化の会」を発足。宮沢賢治を中心に児童文化活動に取り組むなどの活動を再開。

1989年、作曲家新実徳英と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」の制作を開始。100曲を目指すとの話もあったが、雁の死により53曲で中止。

199522日、肺がんにより死去。享年72

作家のCW・ニコルの親友で、ニコル氏を永住の地である黒姫に導いたのは谷川。

 

新実徳英 1947年名古屋市生。愛知県立旭丘高校卒。1970年東京大学工学部機械工学科卒。1975年東京芸術大学音楽学部作曲科卒。1978年同大学院研究科修了。間宮芳生、三好晃、野田暉行に師事。桐朋学院大学音楽学部、同短期大学非常勤講師。1977年第8回ジュネーブ国際バレエ音楽作曲コンクールにて史上二人目のグランプリ、ならびにジュネーブ市賞を受賞。

1983年同コンクール審査員。1984年文化庁芸術祭優秀賞受賞。2000年第18回中島健蔵音楽賞受賞。作曲ジャンルは歌劇、管弦楽、室内楽、声楽など幅広いが、国内では<幼年連祷><やさしい魚><祈りの虹>等の合唱曲の作曲家として知られる。

                         (ウィキペディアを基に構成)


                               (谷川 雁 完)


| 谷川雁 | 10:05 | comments(0) | trackbacks(0)
谷川 雁 3
 第3話 うらぶれた青春

          薔薇のゆくえ

 

        ばらは さだめ しり

        かぜと でかけ た

        まちも むらも ない

        いしの あれの で

        ばらは かたち とけ

        うたに なった よ

 

        うたは かおり すい

        つばさ ひろげ た

        ほしも みずも ない

        いわの はざま で

        うたは くだけ ちり

        ゆきに なった よ

 

美しい薔薇がやがて色あせ、枯れて、散ってしまう。それは自然の摂理です。

しかし、作者の意図は、この美しい薔薇が美しいままで消えてゆく道はないのだろうか、と模索してみたのでした。

自分はもう間もなく散っていく〈さだめ〉――自分の生命はこれで終わりだという運命を知って、薔薇は風と一緒に旅に出ます。つまり、風に吹かれて転がり、遥か遠くまで転がり続けてついに荒涼たる原野までやって来ました。

 

荒れ果てた石ころだらけの荒野ですから、そのままいれば枯れて茶色になったり、黒ずんで縮み無惨な滅び方をしてしまいます。でも、薔薇には美しいままで消えてほしいというが作者の願いですから、みるみる形が溶けて透き通ってしまった。そして形のない、美しい響きを持った〈歌〉に変わったという終わり方を描いたのです。

 

2番では、歌に変わった薔薇が、香りを吸うことでさらに変化(へんげ)して、目に見えない翼を広げて飛んでいきます。どこに行くのかと言えば、またもや星も水もない岩の狭間に移って、音のかたまりである歌は砕け散ります。砕け散ると何になるのか。雪になる。

つまり薔薇は、一度形のない歌を通って、雪になるのですね。では、雪はどうなるかと言うと、また様々な形に変幻しながら、やがては再び薔薇となってこの地上に咲き誇るだろう。そんな思いを含んだ歌詞になっています。

 

本当に何という美しい詩的構想力(ビジョン)なのでしょうか。日頃、難解な現代詩はつい敬遠しがちになりますが、観念の遊戯ではなく、真に詩的裏付けのある暗喩を紡いでいる現代詩人の作品からは、多くの学ぶべきものがあるに違いありません。


 

     二十歳

 

   まぼろしの 噴水に

   ぬれたひとところ 胸のあたり

   うらぶれた 四月の

   昼のいしだたみ 影とあるく

   子犬よ わらえ

   (なん)にもないはたち

   パン屋の匂いから

   逃げてきたおれを

   (とび)いろの ひとみは

   そらの青うつす 風も砂も

 

   うみどりの さけびを

   かくすのどの奥 シャツのぬくみ

   てのひらの 銀貨に

   リラのかおりする 罪を語る

   さかなよ わらえ

   何にもないはたち

   干がたの舟のように

   うごかないおれを

   鳶いろの ひとみは

   そらの青うつす 風も砂も

 

本当に水に濡れているのではなく、心象風景として〈まぼろしの〉噴水に作中の二十歳の若者は、胸のあたりだけが濡れています。四月は一年の内で一番華やかな月のように見えますが、二十歳という年齢にとっては、むしろ〈うらぶれた〉月と感じられます。まるで、冷たい水に胸が濡らされたような、うらぶれた思いを伝えたくて幻の噴水という譬えが使われたのでしょう。

 

わたくし事ですが、二十歳を迎えた時、私は予備校生でした。郷里の体育館で成人式があり出席したのですが、大学に合格した、かつてのクラスメートと再会するのは辛いものがありました。自分だけが社会から疎外されたような〈うらぶれた〉青春のひと時でした。

若き日の私に限らず、二十歳という時期は、心に切実な悩みや挫折を抱え、見た目の肉体の輝きとは裏腹に、心に〈うらぶれた〉淋しさがあるのも真実でしょう。

手放しに青春はすばらしい、若さはすばらしいと歌うのではなく、青春の暗さに眼を向けた所に、詩人の深い感性を感じます。

 

〈パン屋の匂いから 逃げてきた〉という歌詞は、〈パン屋の匂い〉という言葉に、温かく平和な日常生活が暗示されています。その平穏な生活から逃げていきたいと思うのが、二十歳だという意味の含みがあります。

 

海鳥の叫びは結構鋭いものです。叫んでしまえば楽になるのに、海鳥のようになかなか叫べない。喉の奥にしまい込んでいる。それを歌ったのが、〈かくすのどの奥 シャツのぬくみ〉です。

 

〈てのひらの 銀貨に/リラのかおりする 罪を語る〉とは、どんな罪なのでしょう。

手の中の小さな元手で何かを企んでいるけれど、そんなに重大な罪となるものではないでしょう。でも、平凡な市民生活を送っている家族の眼には、二十歳の若者の行動は危険な香りのする罪と言える。とは言え、青春の中で誰もが体験することだから、罪と言っても、ゆとりを持って眺めていられる。だから、深刻にならずに済む罪は、リラの香りがするような甘美な罪だと言えるのでしょうね。

 

最後の方に出て来る〈鳶いろの ひとみ〉とは、私達日本人は蒙古民族(モンゴリアン)の流れを汲んでいるので、褐色の瞳の色を指しています。

空の青と茶色っぽい色が混じり合っている瞳――その混じり合い方が、二十歳を象徴しているわけでもあるのです。その鳶色の瞳は、年取った大人の眼には映らない、風や砂のようなものも映しているのだと作者は語ります。


合唱曲「二十歳」は、可児うたおう会第二回ミニコンサートで男声合唱団「メンネルコール・シュトロームで演奏されたものがYouTubeに掲載されているので、参考に転載させていただきました。



合唱曲集「白いうた 青いうた」の各詩には、作者による自作自註(新実徳英『うたの不思議』音楽之友社)がありますので、解説文を同書より引用して綴り、筆者のコメントを加えて再構成しました。


(参考文献)

 新実徳英『うたの不思議』音楽之友社

                              (この稿続く)


| 谷川雁 | 19:28 | comments(0) | trackbacks(0)
谷川 雁 2
 第2話 白い歌 青い歌――「卒業」

       卒業

 

        紙ひこうき 芝生で とばしたら

        折りたたむ かなしみが ひらいた
        この白さは いつまで のこるのか
        天山北路の すなふる はなみずき 
        まどがらすに さよなら 書いたゆび

        友おくると 靴ひも 直したら

        いしみちに ゆうぐれが あふれた
        なぜ けものの わかさは つらいのか
        ボッティチェルリ うまれ日 しらべてた  
        水たたえる あの目を わすれない

 

もし自分が「卒業」というテーマで歌詞を作れと言われたら、思い出だの、部活だの、クラスメートだのという既成の言葉を連ねるに違いありません。でも、雁の歌詞にはそんな言葉は一語たりとも出て来ません。思いもかけぬ修辞が展開します。なんと新鮮な「卒業」の歌でしょう。

 

〈紙ひこうき 芝生で とばしたら/折りたたむ かなしみが ひらいた〉――コーラスでこのフレーズを実際に歌うと、涙なしに歌うのはなかなか大変なのだそうです。
「紙ひこうき」に関連づけて、「折りたたむ」かなしみが「ひらいた」という優れた修辞(レトリック)が光っていますね。そこへ畳み掛けて〈この白さは いつまで のこるのか〉と歌うのは、卒業後に青年の純粋さが汚されていく哀しさを思うからでしょう。

 

卒業時分には中国大陸から黄砂が飛んで来ます。黄砂の故郷がシルクロードの〈天山北路〉。

黄砂で校舎の窓ガラスが白くなる。そこに「さよなら」を書く。校庭には春の花であるハナミズキが咲いています。

 

2番の出だしの〈友おくると 靴ひも 直したら/いしみちに ゆうぐれが あふれた〉は自然な設定でさりげない感じです。溢れているのは夕暮れだけでなく、友との別れに際して溢れ出てくるものと思われます。


合唱曲「卒業」は、杉並ジュニア混声合唱団第11回定期演奏会で演奏されたものがYouTubeに掲載されているので、参考に転載させていただきます。

尽きぬ体力と情熱がありながら、めくらめっぽうに走るだけで、まだ何も実現できず、自分の若さを持て余している辛さ。それを〈獣の若さ〉の辛さと名付けました。

ここで突然、ボッティチェルリが登場します。おそらく、天山北路→シルクロード→イタリア→ボッティチェルリ→名画『春』の画家→春は卒業の時期、という連想でしょうか。


(参考文献)

 新実徳英『うたの不思議』音楽之友社

                              (この稿続く)



| 谷川雁 | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0)
谷川 雁 1
 第1話 白い歌 青い歌――「十四歳」

 谷川(がん)という詩人の名はあまり聞き慣れないかも知れません。谷川雁は60年安保闘争の時代、牾很浸躾有瓩半里気豼感ζ学生のカリスマ的存在だった詩人でした。

作風は難解で象徴性に富んだ暗喩が特徴です。私もいくつかの代表作を目にしたことがありますが、難解性のゆえにそれほど親しんだわけではありません。

 

今回、この詩人を取り上げたのは、超難解な作風で知られる詩人が、教育問題に強い関心を持ち、青少年向けの合唱曲の作詞をしていることを知って興味を持ったからです。

1989年、作曲家新実徳英(にいみとくひで)と共作で合唱曲「白いうた 青いうた」の制作を開始しました。100曲を目指していましたが、1995年、肺がんにより死去、53曲で中止となりました。享年72歳でした。

 

合唱曲集「白いうた 青いうた」の歌詞は、歌詞である以上、現代詩と同じような難解な表現は使えないため、平明な修辞が使われています。しかし、平明と言っても、根っからの現代詩人である谷川雁は、聴衆におもねるようなやさしい表現はとっていません。難解ではありませんが、読者の自発的な想像力の参加がなければ読み解けないような、一定の詩的水準は保っています。ですから、歌詞でありながら伴奏がなくても詩として自立した芸術作品であると私は感銘を受けました。

 

「白いうた 青いうた」――十代のための二部合唱曲集――は合唱をやっている人なら合唱祭・演奏会などで一度は耳にしたことがある、合唱曲としては空前のヒット作品と言われています。

この曲集は普通の合唱曲とは大きく違っているところがあります。それは「メロディーが先に作られ、歌詞が後から作られた」という点です(大抵の合唱曲はまず詩があって、作曲家がその詩を読んで曲をつける、というのが普通です)。

 

歌詞が先行するデメリットは、言葉の持つイントネーション・アクセントにメロディーが左右されることです。しかし、曲が先行することで、言葉のイントネーションに影響を受けず、自由に曲をつけることができます。

谷川雁の作詩した全53曲を紹介するには紙幅が少なすぎて、私の勝手なチョイスでいくつかを紹介してみました。

なお、合唱曲集「白いうた 青いうた」の各詩には、作者による自作自註(新実徳英『うたの不思議』音楽之友社)がありますので、解説文のほとんどを同書より引用して綴りました。

 

           十四歳

 

         はなびらのにがさを

         だれがしってるの

         ぴかぴかのとうだい

         はだしでのぼったよ

         かぜをたべた

         からっぽになった

         わたしいま十四

         うみよりあおい

         はなびらのにがさを

         だれがしってるの

         だれが

 

「十四歳」誕生の経緯が谷川雁と作曲家新見徳英の対談で語られていますので、まずその関連記事から紹介します。


 生まれも育ちも違う、親子ほども年齢差のあるこの二人が初めて出会ったのは、1984年の暮のことでした。当時信州の黒姫山に引っ込み、自然の中で子供たちと宮沢賢治を読んで、その童話を子供たちが身体を使って再構築する「人体交響劇」という全く新しいスタイルのパフォーマンスを追求する実験的サークル 「ものがたり文化の会」を主宰していた谷川から、物語りテープに音楽を入れる仕事を依頼され、その打ち合わせに新実が前夜やったばかりのギックリ腰の痛みをこらえて出かけていったのだそうです。新実はこのときの谷川の宮沢賢治の物語にまつわる話に圧倒され、惹きつけられていきました。最初の仕事がうまくいくと、互いの酒好き、魚好きもあって二人の行ったり来たりのつきあいはその後も続きました。
 そんなある日、1989年の春頃だったらしいですが、東京四谷の寿司屋で一緒に飲んでいたとき、「最近、曲先行で歌を作っているんだけど、これがなかなかうまくいかないのですョ」と新実がふと漏らしたところ、「朝飯前とはいかないけど、ま、僕に任せてみませんか」
と谷川が応じたのだそうです。
 あの雁さんが歌詞を? これには新実も驚くとともに、全共闘世代に支持されたカリスマ的思想家、社会運動家でもあった、このかつての前衛詩人の作品は知っていただけに、はたして誰もが口ずさめる歌詞がつけられるのだろうかと不安を覚えました。谷川は谷川で新実の心の動きを察知して、むらむらと敵愾心を燃やし、持ち前の大言壮語癖もあって「まあ、まかせてごらん」と言ったのだと後日語っています。
 新実は、「では是非・・・」とは答えたものの、すぐに曲を送るのにはためらいがあったようです。それからおよそ半年後、やってみなければ何事も始まらない、物は試しと一曲送ってみると、三日後にファックスで送られてきたのが<十四歳>でした。よくあるような歌詞っぽい詞とは全く違った、「はなびらのにがさをだれがしってるの・・・・」と始まる、その新鮮なことばの響きのすばらしさに新実は驚嘆しました。こうして「白いうた 青いうた」の記念すべき第一曲は誕生しました。
 以後、新実がヨーロッパの旋律、日本、アジアの旋法をもとにして曲を作り、これにピアノ伴奏をつけて自身がハミングやヴォーカリーズで歌ったテープに譜面を添えて谷川に宅急便で送ると、谷川はこれを聴きながら、二夜三日呻吟してできた詞をファックスで返送し、受け取った新実は詞と曲の微調整を行い、なるたけ素敵で歌いやすい対旋律を見つけ出し、合唱曲に仕立て上げては、中高校教師向けの月刊誌「教育音楽」の付録楽譜として出版するという一連の作業が繰り返されました

(新実徳英「<白いうた青いうた>小史」、谷川雁+新実徳英「ことばがうたうとき」三世代のための二部合唱曲集<白いうた青いうた>巻末対談、音楽之友社)

 

普段は難解な作風で知られる前衛詩人が、歌の詩という初めての分野で、これまでになかった平明な表現で詩作した時、かえって詩人の才能の深さが際立つような印象があります。

作者によると作中の「わたし」は14歳の少女にイメージされています。「はなびらのにがさ」という言葉は、わかりにくい表現です。14歳くらいの少女を、世間は今がつぼみの時だとか、花が咲き始めた時だとかと譬えます。その譬えに対して詩人が、本当にそうなのか、言われている当人は自分が花のようなきれいで華やかとは思っていないのではないか、と疑問を持ったことから生まれた言葉です。

14歳には14歳の暗さがある。自分たちのことをよくわからない大人たちに、花と呼ばれるとちょっと反発したくなる、そんな気持を代弁したかったそうです。

 

一方、情熱が高揚してくる年代でもあるので、灯台のように真っすぐ立っているものを、若さに任せて裸足で一気に登っていきたい。もちろん、古い灯台よりぴかぴかの新しい灯台の方がいい。灯台の中は螺旋階段になっていて、そこを登っていく感覚は、人が14歳くらいの時に成長していく感じにも似ています。

登り切ると、ぱっと視界が開けて明るい。そこで深呼吸をし〈風を食べて海を眺める。今まで頭の中にごしゃごしゃ詰まっていたものが空っぽになる爽快感を味わう。

 

14歳は今眺めている海よりも青いと言えるのではないか。「青」は青春に繋がる色であり、ひたすら純粋に青い色に自分自身を同化させているのです。それでもなお、花びらの苦さがもう一度自分を包んでくる。この海の青い色が「はなびら」であるならば、その苦さを誰が知っているのか。誰がと、問い返す。でも、この人なら知っていると断定できそうな人はこの世界に一人もいないように感じる。――それが14歳。

                               (この稿続く)




| 谷川雁 | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0)
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