詩聖タゴール 4
 第4話 日本来日

ノーベル賞受賞を契機に日本でもタゴールの詩の翻訳ラッシュが始まり、来日前には「タゴール・ブーム」なるものがありました。

1916(大正5)年5月、タゴールは神戸に上陸しました。6月上京、時の首相大隈重信と会談、翌日には東京帝国大学で「日本へ寄せる印度のメッセージ」と題する講演を行いました。

タゴールの動向は逐一新聞で伝えられ、タゴールの乗った列車を群衆が待ちかまえ、いっせいに万歳で迎える歓迎ぶりでした。

(写真は、 日本女子大学来校(191672日)講堂で「ギタンジャリ」を朗読。日本女子大学のサイトより転載)

 

ところが、当時の作家や詩人は冷ややかな反応でした。正宗白鳥の「タゴール氏の著作は一字一句読んでいませんから氏について感想を述べることは出来ません」、夏目漱石「私は不幸にしてタゴール氏に面会の機会を得ません。それから同氏の書いたものも読んで居りません。氏は多数の日本人よりも風采の点に於てはるかに立派なように思われます。其他に何の感想も()ちません」、与謝野晶子「タゴオル氏の著作を少しも読んで居りませんから何事も申し上げかねます」などのそっけないコメントが並びます。これは未見であるというよりも、インドの詩人にしてノーベル文学賞受賞者であるタゴールをどう扱ったらよいか、とまどっている心理が現われているようです。

 

また、哲学、宗教系でなく、「ナショナリズム」をテーマとした政治、社会系の講演は不評をかこつことが多くありました。タゴールが各国で講演をしたこの時期は、第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまの激動の時代でした。

タゴールはその生涯で五度日本を訪れました。タゴールは、日本人が(つちか)ってきた繊細な美意識や伝統、自然と調和する心を深く愛しました。麗しい国と呼び、憧れさえ抱いていた日本が、日増しに軍国主義化していく当時の姿を目にして、タゴールは人類への愛の立場から、日本の大陸侵略を厳しく批判しました。

(写真は、 学生から贈られた羽織を着るタゴール。日本女子大学のサイトより転載)

 

「もとより私は、日本が自己防御のための現代的な武器を取得するのを怠ってよいというつもりは毛頭 ありません。しかし、このことは日本の自衛本能の必要最小限以上に決して出てはならぬものであります。真(まこと)の力というものは武器の中にあるのでは なく、その武器を使用する人々の中にあることを、日本は知るべきであります。もし人々が力を求めるに急なあまり、自分自身の魂を犠牲にしてまで、武器を増 強しようとしたならば、危険は敵の側よりも、その人たち自身の側にますます大きくなっていくものであるという事実を日本は知らなければなりません                            来日講演「日本の精神」

 

日本は、タゴールがアジアで初めてノーベル賞を受賞した時、喝采を送りました。しかし日本は、その歪んだナショナリズムを批判したタゴールの警告には耳を傾けず、悲劇への道をひたすら突き進んでいきました。

日本滞在の後半は公式行事は影をひそめ、日本の知識人から拒絶された詩人は、故岡倉天心の五浦の六角堂を訪ねたり、軽井沢の日本女子大学寮を訪ねて女子学生と木蔭で語り合ったりする、のんびりとした日々を過ごしました。( 写真は、 日本女子大学軽井沢三泉寮もみの樹下で瞑想についての講読(1916816~21日)。日本女子大学のサイトより転載

 

■晩年のタゴール

 

     第一○三歌

 

    わが神よ、おんみへのいちずな挨拶として、願わくは、わたしの

   感覚をことごとくひろげ、おんみの御足(みあし)のもとで この世界に触れ

   させてください。

    まだ降りやまぬ夕立の重みに、低く垂れこめた七月の雨雲のよう

   に、願わくは、わたしの心のすべてを おんみの戸口に (ひざまず)かせて

   ください――おんみへのいちずな挨拶として、願わくは、わたしのすべての歌

   の さまざまな旋律を 一つの流れに集めて、沈黙の海へ流れこませてくださ

   い――おんみへのいちずな挨拶として。

    望郷の思いにかられ 夜を日についで 山間の古巣へと翔びつづける鶴の群

   のように、願わくは、わたしの全生涯を 永遠の故郷(ふるさと)向かって旅

   させてください――おんみへのいちずな挨拶として。

                        詩集『ギタンジャリ』

 

詩集最後の詩は、詩人の神への敬虔な挨拶(祈り)の言葉で結ばれます。自分のうたったすべての歌の調べが、一つの流れとなって沈黙の海(真理の海)へと注ぎ込むことができるようにと、ヒマラヤの古巣へと翔び続ける鶴の群れのように、永遠の魂の本源へ回帰できるようにと祈ります。

 

〈まだ降りやらぬ夕立の重みに 低く垂れこめた七月の雨雲のように〉=ベンガル地方に雨季が訪れると、雨を一杯含んだ黒い雲が、手を伸ばせば触れんばかりに低く空に垂れ込める様子を重ねています。

〈山間の古巣へと翔びつづける鶴の群のように〉=人間の魂の本質への回帰の象徴としてタゴールが好んで用いた比喩。


タゴールの全詩編2100余りの内、800編余りが死に先立つ最後の十年間に書かれています。70代に入った詩人はどんな執念で書き綴ったのでしょうか。

ひとつのテーマは、この世界の不条理です。この時期、世界では第一次世界大戦の記憶がまだ薄れない内に、第二次世界大戦へ突入する暗雲が立ち籠めていました。詩人の心も呼応するように、この世の悲劇、不条理を解き明かす作品を模索しています。

晩年にはタゴール自身も体調を崩し、ある時は意識不明に陥り死を垣間見ます。タゴール最後の詩集『絶筆』は、病いのために寝たきりになった80歳の詩人が口述筆記によって残した作品です。

 

80年の長い道程の末の〈わたしは知った この世が夢ではないのことを〉という『絶筆』の中の一節は重いものです。詩人は衝撃や苦悩によって〈わたしを知った〉と言い、真実の過酷さこそを愛したといいます。この世の不条理を凌駕する到達点を模索しようとする生命力は最後まで衰えることはありませんでした。タゴールはこの世界に対する根源的な問いを抱えたまま、この世を去りました。1941年の夏ことでした。

(この記事は、ウェブサイト上に紹介されたNHK教育テレビ『こころの時代』で、森本達雄氏の「タゴールの贈りもの」と題する放送内容に多くを負っています)

 

【メモ】サー・ラビーンドラナート・タゴール Sir Rabindranath Tagore

186157 - 194187)インドの詩人 思想家、詩聖。ノーベル文学賞受賞者。

ベンガル州カルカッタの名門タゴール家に七人兄弟の末っ子として生まれる。タゴール家はタゴールの祖父の代にカルカッタ有数の大商人として成長を遂げた家。父は宗教家として著名なデーヴェンドラナート・タゴール。

幼い頃より詩作を能くしたがイギリス流の厳格な教育に馴染めず、3つの学校をドロップアウト。1878年、17歳でイギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)に留学。1年半を過ごすが卒業には失敗。しかし、西欧文化に直接触れたことで詩人として大きく成長した。(右の肖像写真は、ウィキペディアより転載)

1901年、父のデーヴェンドラナート・タゴールが道場を開いていたカルカッタの北西にあたるシャーンティニケータンに野外学校を設立。1951年に現在のヴィシュヴァ・バーラティ国立大学となった。1902年、インドを訪れた岡倉天心と親交を結び、1913年の天心の死までその交友は続いた。

1905年にイギリスがベンガル分割令を出すと反対運動の先頭に立ったが、やがて政治から身を引く。

1909年、ベンガル語の詩集『ギーターンジャリ』を自ら英訳して刊行。詩人のイェイツに絶賛され、評判となる。

1913年、アジア人として初のノーベル文学賞を受賞。翌1914年、イギリス政府からナイトに叙される。

1916年に来日。日本の国家主義を批判。親交のあった岡倉天心の墓を訪れ、天心ゆかりの六角堂で詩を朗読。

マハトマ・ガンディーらのインド独立運動を支持(ガンディーにマハトマ=偉大なる魂、の尊称を贈ったのはタゴール本人ともされる)。ロマン・ロランやアインシュタインら世界の知識人との親交も深かった。死後もその文学への評価は高く、1950年、独立したインド議会によって、タゴールがベンガル語で作詞し作曲したジャナ・ガナ・マナがインド国歌に採用された。                       (ウィキペディアを基に構成)

                             (詩聖タゴール 完)

(参考文献・ウェブサイト)

丹羽京子『人と思想 タゴール』清水書院

森本達雄訳『ギタンジャリ』第三文明社

ウェブサイト「私の山歩きと旅」所収――『こころの時代へようこそ』



| タゴール | 17:48 | comments(2) | trackbacks(0)
詩聖タゴール 3
 第3話 世界を肯定する詩

      第三五歌    

 

    心が怖れをいだかず、(こうべ)が毅然と高くたもたれているところ、
    知識が自由であるところ、
    世界が 狭い国家の壁で ばらばらにひき裂かれていないところ、
    言葉が 真理の深みから湧き出づるところ、
    たゆみない努力が 完成に向って 両腕をさしのべるところ、
    理性の清い流れが 形骸化した因習の干からびた砂漠の砂に吸い

    込こまれ 道を失うことのないところ、
    心が ますますひろがりゆく思想と行動へと、おんみの手で導かれ

    前進するところ――
    そのような自由の天国(くに)へと、父よ、わが祖国を目覚めさせたまえ。

 

                        詩集『ギタンジャリ』

 

この詩が訴えているのは世界肯定観、つまりこの世は努力が報われ、理性が因習を打破し、狭いナショナリズムから解放され、信仰の力が個人の思想と行動を支えるべきであるという考えです。タゴールのこうしたヒューマニズムは、彼を現実の政治・社会問題に参加させました。大衆運動の先頭に立ち、自治・国産品愛用運動を指導しました。またこの時期、あまたの愛国歌を作詞・作曲しました。

 

タゴールは早くからインド古典音楽に親しみ、多くの優れた演奏家がタゴール家に出入りしました。タゴールは民族歌謡をベースとする歌作りを始め、1905年を頂点とした民族運動の高まりと共に愛国歌をさかんに書きました。こられらの歌によってタゴールは歌の作り手として知名度が上がり、独立した歌として長く人口に膾炙するタゴールソングが生まれました。それは後にインド国歌やバングラディシュ国歌へと発展していきました。



      第四五歌

 

    あのかたの静かな足音を 聞いたことはないのか?
    あのかたは来る、ひたひたと いつも来る。
    どの瞬間(とき)にも どんな時代にも 夜ごと日ごとに あ

   のかたは来る、ひたひたと いつも来る。
    わたしは さまざまな気分で さまざまな歌をうたっ

   てきたが、歌の調べは いつとても みんなこのように

   告げていた――あのかたは来る、ひたひたと いつも来

   る、と。
    陽の降りそそぐ四月の花の香る日に、森の小径(こみち)を通っ

   て、あのかたは来る、ひたひたと いつも来る。
   雨の降りしきる七月の夜の暗闇に、雷鳴とどろく雲の

   馬車に乗って、あのかたは来る、ひたひたと いつも来る。

    悲しみにつぐ悲しみのなかで、わたしの胸に迫り来る

   のは あのかたの足音、そして、わたしの歓びを燦然と

   かがやかせるのは あのかたの御足(みあし)の金色の感触。

 

                        詩集『ギタンジャリ』


 

この詩の原詩にあたるベンガル語で書かれた作品は、19105月に創作されています。

同時期はタゴールにとって人生で最も厳しい試練の歳月でした。まず、1902年に妻が29歳の若さで逝き、それから一年も立たぬ内に13歳の次女が夭折しました。1905年に父親が、翌年には末子が他界したのです。まさに〈悲しみにつぐ悲しみのなかで〉詩人はなおも〈おんみ〉を待ち続けるのです。

 

 

不条理のただ中にあっても、なおも〈おんみ〉の来訪を待ち続ける――これがタゴールの「世界を肯定する思想」です。

この「世界肯定思想」は、以前にお話ししたフランクルの〈それでも人生にイエスと言う〉不屈の精神と相通じるものがあるように思います。強制収容所でこの世の生き地獄を経験し、愛する家族も根こそぎ奪われて、それでも虚無に陥らず、「どんな時も人生には意味がある」と訴え続けたあのフランクルの思想に。

 

フランクルが説いた教えの中に、三つの価値観がありました。。

あなたの人生であなたを待っている何があるだろう。それを見つけて実現していくのが、創造価値。あなたの人生であなたのことを待っている誰がいるんだろうか。それを発見して実現していくのが、体験価値。そして、創造価値、体験価値の可能性が奪われても、たとえ人間のあらゆる自由がなくなったように見えても、そんな厳しい状況に対してある態度を取ることができる。これによって実現できるのが、態度価値です。

「態度価値――人間はどんな状態に置かれてもある態度をとることができる。この価値は最後まで失われない。どんな時にあっても、人生には意味があるといえる最終的根拠」と述べられています。

 

最愛の家族を次々に喪っていく悲劇の中で、タゴールが選んだ態度価値は、神も仏もあるものかと信仰を放棄する道には進みませんでした。以前よりなお深く情熱的に、〈おんみ〉の訪れを待ち続けました。そこにタゴールの偉大さがあると思います。

 

 

インド人は古来、日本の神道のように大自然の様々な表情に神の存在を見て来ました。

〈陽の降りそそぐ四月の花の香る日に、森の径を通って、あのかたは来る〉の詩句は、そのような伝統的な宗教観に基づいています。〈陽の降りそそぐ四月の花の香る日〉は、現地では様々な花の咲き香る春です。ちなみにベンガル暦の四月は熱風の猛暑の始まりの季節にもあっています。

 

訳者の森本達雄さんが翻訳の要諦について触れているエピソードがあります。

 

(タゴールが後半生を過ごしたシャンティニケンに滞在中)第45歌に繰り返(リフレーン)される He comes comes, ever comes. の訳語にゆきづまり、難渋していた。

これをただ、文字どおりに「彼は来る、来る、いつも来る」と置きかえたのでは、文字から目を離したとき、なにか目まぐるしい、回転するような響きになりはしまいかと、危惧したからである。先訳者たちも同じ悩みをいだかれたらしいことは、渡辺訳では「来るよ、来るよ、いつも来るよ」と、「よ」が付けられていることや、高良訳では、「あの方は いつでも いつでも やって来る」と、「来る」の繰り返しを避けておられることからも明らかであった。

それはおりしも、7月の雨季の夜更けであった。宵から雨がはげしくなり、深夜にいたって雷鳴がとどろき、夜の暗闇に幾条もの稲妻がはしり、ついに停電した。私は机上常備してあった燭に灯をともし、訳語を考えつづけていた。そのときである。だれかが道路から戸口にむ向かって、静かな足どりで入ってくるような気配がした。こんな嵐の夜に(おとな)う客のあろうはずはなかった。しかし、人の気配はたしかに感じられた。私は扉を開けて、燭台をかざした。もちろん、外はしのつく雨ばかりで、人影はどこにも見あたらなかった。私はふたたび机の前にもどったが、しばらくは、だれかが裸足でひたひたと、私の心のなかに近づいてくるように思えてならなかった。私はとっさに、その一節を「あのかたは来る、ひたひたと  いつも来る」と、実感のままを訳語に選んだ。     『ギタンジャリ』訳者前がき

 

「ひたひたといつも来る」という表現は、潮が静かに満ちて来るような豊かと、すべてを包み込むイメージがあります。神様が近づいて来る様子は、「彼は来る、来る、いつも来る」というような拙速な足の運びではないでしょう。「ひたひたと」の語は、宇宙の永劫のリズムで行われている潮の干満と同様に、偉大な存在のゆるぎない訪れを表わすにふさわしい名訳に違いありません。

 

訳者の森本さんはこの訳語について、「これはきわめて個人的な体験から生まれた訳語であって、かならずしも「正訳」とは言えまい。同様に、いくつかの詩に付した鑑賞も、長年それらの詩を愛読してきた私の個人的な理解と解釈にもとづく、言わば、それぞれの歌に併せた訳者の勝手な二重唱の低音部であり、はたして正しい和音かどうか、はなはだ心もとない。しかし訳者は、教室で示されるよう模範回答を、初めから意図したのではないことを申し上げておきたい。詩の鑑賞は、どこまでも作者と読者の個人的な対話であり、もっぱら読む側の想像力や人生体験に依存するものだと確信する」と語っています。

 

この言葉は、私が常々、詩の教室で「一編の詩を本当に自分のものにするには、自身の体験を通して読み解かねばならない」とお話しているのと合致します。


 

(この記事は、ウェブサイト上に紹介されたNHK教育テレビ『こころの時代』で、森本達雄氏の「タゴールの贈りもの」と題する放送内容に多くを負っています)

                               (この稿続く)

(参考文献・ウェブサイト)

森本達雄訳『ギタンジャリ』第三文明社

ウェブサイト「私の山歩きと旅」所収――『こころの時代へようこそ』



| タゴール | 09:42 | comments(3) | trackbacks(0)
詩聖タゴール 2
 第2話 梵我一如(ぼんがいちにょ)の詩

 

タゴールが50歳になる頃、ひとつの頂点とも言うべき詩情に到達しました。詩人の心が絶対普遍と認識できる“ 内なる神 ”をうたった詩集『ギタンジャリ』です。これは詩であると同時に歌であり、ベンガル語の響きを最大限に引き出した韻律でした。タゴール自身が「はじめて自分自身のものと納得」できる完成度だったのです。


       第一歌


     おんみは わたしを限りないものになしたもうた―

     それが おんみの喜びなのです。

     この(もろ)い器を おんみはいくたびも(から)にしては、

     つねに あらたな生命(いのち)で充たしてくれます。

     この小さな葦笛(あしぶえ)を

     おんみは丘を越え 谷を越えて持ち運び、

     その笛で 永遠(とこしえ)に新しいメロディーを吹きならしました。

     おんみの御手(みて)の不死の感触に、

     わたしの小さなこころは 歓びのあまり度を失い、

     言葉では尽くせぬことばを語ります。

     おんみのとめどない贈り物を

     わたしは この小さな両の手にいただくほかはありません。

     幾歳月(いくとしつき)かが過ぎてゆく、

     それでもなお おんみは注ぐ手をやすめず、

     そこにはまだ 満たされぬゆとりがあります。

                           森本達雄訳


 

冒頭の第1歌は、〈おんみ〉=創造主による創造の不思議さに対して、人間の側から捧げた歓喜の讃歌です。創造主は天地の初めに万物を創っただけでなく、今もなお創造の手を休めることはありません。

 

〈脆い器〉とは、死すべき運命にある肉体を譬えています。ここでは生死を巡って繰り返されるインドの伝統的輪廻思想をうたっています。〈一本の葦笛〉とは、詩人であるタゴール。この笛で〈永遠に新しいメロディー〉を吹くのは〈おんみ〉である創造主です。

 

現代日本でタゴール研究の第一人者、森本達雄氏は初めて作品に触れた時の思いを次のように語っています。

「第一頁目を開きましたら、「Thou hast made me endless」という言葉から、詩集の第一行目を読んだ途端に、私は初めは辞書でも引きながら英語の勉強のつもりで読み始めたんですが、ほんとに誇張ではなしに、自分の背中に稲妻が走ると言いますか、そういうような感激を受けたんです。と言いますのは、「おんみは私を永遠なものにお造りになった」という言葉だったわけです。で、私は自分の生命(いのち)が、自分のこの世の中に生まれてきた五十年か六十年か生きられる、そのいのちが 永遠なものだ、そんなことは夢にも考えたことはなかったわけです。それで、「お前のいのちが永遠だ」と言われた時に、ほんとに感動致しました。その小さな詩集―全部で百三篇の詩集なんですが、どの詩も短い短い詩なんですけれども、それをノートに書き写しまして、そして自分で辞書を引きながら拙い訳を―その訳は勿論内容をよりはっきりと理解したいということで拙い訳を付けていったわけです。そしてどの詩からも同じような感動を受けました。それが私とタゴールとの最初の出会いでございます

 

〈おんみ〉は――いわゆる神は、この脆い肉体を持った私たちを、ちょうど神が笛吹きのように、私たち人間を笛のようにしています。そして私たち人間を通して神が何かを創造して下さる、あるいは神が私を使って下さることへの感謝の歌だと、森本さんは言います。

 

森本さんによると、タゴールの神というのは、人間の外にあって人間を支配する、という神ではないといいます。人間を小宇宙とすると、その小宇宙に対する大宇宙というのが神です。人間の外にあって、人間と隔絶しているのではなく、神の一部を人間が持っている、と。

そして人間も生命を持っている。その生命の大いなる生命が神だ、とイメージします。

 

ですから、神に対する呼び掛けは、非常に親しく「あなた」、「おんみ」とか、時には恋人のような呼び方をします。そして神にいろんな呼び方で近づき、その時その時の思いで神を呼びます。人間の中にある生命は大いなる神の一部だ、人間と神とは一つである、という考えがタゴールの神の中心になります。

 

タゴールがこのような生命感、神性観を持ったのは、イギリス留学から帰った若い頃でした。カルカッタの兄の家のベランダに立って、朝日が昇ってくるのを見ていた時に、神秘的な体験をしました。

「わたしが十八歳の時、宗教体験の突然の春風がはじめて私の生活に訪れた。ある日、朝早く太陽が樹々の向こうから光線(ひかり)を放っているのを眺めながら立っていると、不意に、霧が私の視界から一瞬にして()れあがり、朝の光が歓びの輝きを啓示しているかのように感じられた。日常性の目に見えない垂れ幕が、すべての物や人から取り除かれ、物事や人間の究極的な意味が、私の心の中で強められた。それこそが、美の明確化であった。この経験で忘れられないのは、それのもつ人間的なメッセージであり、私の意識が超個人的な人間世界へと突然ひろがったことである

 

朝日が樹々の葉の一枚一枚に輝き渡っている。宇宙的な生命の歓びに充ち満ちている。 この宇宙の一枚一枚の葉にも、太陽が当たり、太陽の心が輝いている。これまでただ何となく見ていた平凡なものに生命の本質を見ます。それがタゴールの思想の出発点になりました。

 

こういう思想を抱くようになったのは、タゴールがヒンドゥー教徒であったことも大きな基盤になっていました。それはヒンドゥー教が(とな)えるウパニシャッド思想の中核に、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という思想があるからです。大宇宙と、その大宇宙の中の人間の心に宿る魂とが一つである、という考え方です。この梵我一如の思想が、タゴールの一番大切な思想になると森本達雄氏は語っています。


(参考文献・ウェブサイト)

丹羽京子『人と思想 タゴール』清水書院

森本達雄訳『ギタンジャリ』第三文明社

ウェブサイト「私の山歩きと旅」所収――『こころの時代へようこそ』

                               (この稿続く)


| タゴール | 09:59 | comments(0) | trackbacks(0)
詩聖タゴール 1
第1話 アジア初のノーベル文学賞

 タゴールという名を聞いたことがあるでしょうか? 普段、あまり詩に親しむことのない人が聞いたら、「ああ、それはインド料理店の名前だよ」と言われるかも知れません。
タゴールとは20世紀初頭、アジア人として初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩人です。
しかし、最近はタゴールの名が新聞・テレビなどのメディアに出ることはほとんどなく、長く忘れられたままになっています。

私も学生の頃、ある勉強会でタゴールの詩と出会わなければ、一生、その存在さえ知らなかったでしょう。ゲストとして呼ばれていた詩人の新川和江先生がこんな作品を紹介しました。


      わたしは私の歌の中で遠い神にさわっている
      ちょうど丘が滝の流れで遠くの海につながっているように
                             周郷(すごう) 宏訳

新川先生はこの作品を通して、比喩は遠くのもの同士をつなげるほど力は大きくなると説かれました。異種のもの同士を詩人の想像力によってつなげる所に、そのすごさがあると。
当時、タゴールがどんな神を信仰しているか、私は知る由もありませんでしたが、詩を通して詩人は永遠なるものに触れることができるのだというメッセージは、強く心をゆさぶりました。
 

■数々の不幸

アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩人ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)は、80年の生涯を通して民族と国境を越えた人間への愛を歌い、さらに時空を越えた遙かな永遠をひたすら求め続けました。

詩人であるだけでなく、小説家、劇作家であり、音楽家、画家、教育者、また時代の予言者でもある世紀の巨人でした。


(写真は米国写真誌『LIFE』に掲載されたタゴールとヘレンケラー(右))


しかし、その人生は幾多の苦難に見舞われました。特に、1900年代最初の10年、タゴール40代に当たる時期は、自らの理想とする学園を作るという事業に失敗し、多額の負債をかかえ、資産、個人蔵書を売り払わねばなりませんでした。この逆境に追い打ちをかけるように同時期に、妻、次女、末息子、父親を亡くしました。

また長女と三女は嫁ぎ、長男はアメリカに留学、わずか5年前には7人家族だったタゴールの身の周りには誰もいなくなってしまったのです。

 

ところが、肉親を相次いで亡くしたという人間的な苦悩が彼を大きく成長させます。

苦悩を短期間に何度も受けたことは、今まで信じていた神を捨てるのか、あるいは神をより求めるのか、という大きな岐路に詩人を立たせました。自分を愛してくれていると思った神が、(むご)い仕打ちを自分にした、という苦悩は実に大きかったに違いありません。でも彼は、人間の欲望というのは数限りなく、あれもこれもと神に求める。神はそれを頑なに拒絶して、自分をより大きいものへ導いて下さる、という確信に入っていきました。この苦しみを乗り越えて神を信ずる飛躍が、この痛苦の十年間の中での宗教的成果となりました。

 

家族の悲劇と事業の挫折で四六時中奔走していたタゴールでしたが、この時期のタゴールの創作活動は衰えるどころか、溢れるような作品群が生まれています。三冊の詩集、小説の連載、文学評論、戯曲と留まることを知らない創作力です。1910年には代表作『ギタンジャリGeetanjali』を刊行しています。ギータ(geet)は「歌」、アンジャリ(anjaliは「合掌」。ギタンジャリは「歌の捧げ物」を意味します。

初めてタゴールの詩を読んだ時の感動を、アイルランドの詩人イェーツはこう書いています。

「わたしは何日もの間その翻訳原稿を持ち歩き、列車の中で、乗り合い馬車で、レストランでそれを読んだ。私はしばしばそれを閉じなければならなかった。というのも周りの見知らぬ人々に、わたしがどんなに感動してしまっているかを悟られたくなかったからだ」

 

それからしばらくして、イギリスでタゴールの詩の朗読会が開かれました。朗読したのはイェーツ。父の外遊に同行していた長男ロティンドロナトがその折の様子を書き留めています。

「朗読のあと、ほとんど胸が痛くなるような沈黙がその場を襲った。そしてその翌日になると洪水のような賞賛手紙が溢れかえった」

 

以後、タゴールの詩は世界中で熱狂的に広まり、1913年、非白人にして初めてノーベル文学賞が与えられました。地元のベンガル人を除く世界の大多数の人々はタゴールの名前すら知しらなかったのですから、当時は大きな衝撃が世界を駆け抜けました。

                               (この稿続く)

 

(参考文献・ウェブサイト)

丹羽京子『人と思想 タゴール』清水書院

森本達雄訳『ギタンジャリ』第三文明社

ウェブサイト「私の山歩きと旅」所収――『こころの時代へようこそ』


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