詩の礫 3
感じるという能力――いわゆる感性というものは、生来の才能として固定されたものでなく、長い人生で培われた作者の人格や誠実さによって研ぎ澄まされていくのだと思います。特に、今回の原発の問題は自然災害というより人災の要素が濃厚なので、詩の題材として向き合う場合は、詩的技量よりも、作者の人格や誠実さのカテゴリーに大きく関わってくるのではないでしょうか。

「詩の礫」をご覧になればわかるように、玉石混淆とでも言うか、詩的な言葉も、殴り書きに近い言葉も、ごちゃまぜに掲載されています。
これは詩になるか、ならないかを迷うことより、悲鳴でも、叫びでもいいいから、詩の形式などに囚われず、なりふり構わず、言葉を発信していくことが、詩作には大切であることを教えられました。

普段、詩作に取りかかる時、言葉に向き合うと、どうしても身構えてしまい、なかなか詩の行が前に進みません。書く端から、これは詩ではない、詩にはならないという批評精神が頭をもたげて、創作活動を邪魔します。

何でもいいから、つぶやけばいいんですね。譬えは陳腐ですが、心の中に放射能の汚染水が溜まってくれば、身体を守るために吐き出します。それと同じように、何か不可解な情感が湧けば、どんどんつぶやけばいいんです。詩にならか、ならないかは、後で人が決めてくれればいいでしょう。

和合さんの功績は、今まで閉じられていた現代詩の扉が、震災をきっかけとして、これまで詩に縁がなかった人達にも開かれたということでしょう。

【メモ】
和合 亮一1968818)福島市生。福島県立福島高等学校、福島大学教育学部卒業。同大学院修了。福島県の高校教諭の傍ら詩作活動を行う。1998年、第一詩集『AFTERで第4回中原中也賞受賞。2006年、第四詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞受賞。ラジオ福島でラジオ番組『詩人のラヂオ 和合亮一のアクションポエジィ』のパーソナリティを務めるなど、多彩な活動を展開。「六本木詩人会」主宰。2011年の東日本大震災では自らも被災、現場からtwitterで詩篇「詩の礫」を発表し続け注目を浴びた。

参考映像:○福島・南相馬市 詩人が見た故郷の惨状

      http://www.youtube.com/watch?v=3ZvyfCHNShs

     ○和合亮一氏 オランダで自作の詩を朗読

      http://www.youtube.com/watch?v=GIG6HQKx2SE


| 和合亮一 | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0)
詩の礫 2
私も震災の惨状に言葉を喪った一人です。千年に一度と言われた被災の酷さに、どんな詩の言葉も間に合わないと感じました。

しかし一方で、作家開高健の言葉も思い出しました。それは、「こんなことは到底表現できない、言葉が見当たらないと言ったら、作家として敗北宣言だ」という戒めです。
和合さんの《放射能が降っています。静かな静かな夜です》の一行を目にした時、私は開高健の言葉の正しさを改めて実感しました。

闇の中に降り注ぐ、色も匂いも形もない放射能汚染の、得体の知れないうす気味悪さ。
津波に攫われて無人と化した街の異様な夜の静けさ。現下の福島の空間感覚を、これほどまでに的確にうたった、重く、かつ美しい詩はないと思います。

私たちは、こんなことは到底表現できない、と簡単に口にします。

が、果たして自分は、和合さんの詩に宿るのと同じ密度で、おなじ緊迫感で、原発を取り巻く過酷な状況を感じ取っていただろうか。

日夜報道される、防護服を身にまとい瓦礫の撤去作業をするニュースや映像を嫌というほど視聴していたのに、私が感受していた衝撃は、福島を故郷とする詩人に比べれば、実は軽いものではなかったか。そう自問自答せざるを得ませんでした。


私はこれまで自分が物を感じる能力に絶対の信頼を置き、対象をうまく表現できないのは、技術的な未熟さのせいだと考えていました。しかし、今回の未曾有の災害に直面して、詩では言い表せないという言葉の蔭に、自分の感性や想像力の問題が隠されていたと思いました。

和合さんは福島の生まれです。自分の街が不条理に死滅させられていく現実のただ中で、どんなにか真摯に詩の言葉を紡いだことでしょう。


もし、「こんなことは到底表現できない、言葉が見当たらない」という言い方が許されるとしたら、それは詩の対象にではなく、詩作品の感動に対して使われるべきだと思います。


なぜなら現実を表現する困難さ以上に、すぐれた詩作品の感動を読み解く大変さを身に沁みて知っているからです。
そこに思いを致すと、私はやはり部外者(ストレンジャー)であって、こんなことは到底表現できないと言って、詩人としての誠実さに欠けるものがあったと反省させられました。――お前は詩人として本当に深く感じていたのか。私は和合さんの詩によって自分の感性を見誤っていたことを思い知らされました。

| 和合亮一 | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0)
詩の礫(つぶて)1
東日本大震災後に、福島市在住の詩人がツイッターで発信している詩が反響を呼んでいます。
大地震と津波、放射能の恐怖にさらされる怒りや悲しみを実況中継さながらに綴った言葉が、被災地以外の人の心をも強く揺さぶり、海外まで閲覧の輪が広がっています。

詩人の名は、中原中也賞受賞者の
和合亮一(わごうりょういち)(42)。和合さんは福島県立保原高校(同県伊達市)の国語教師。地震が起きた311日は同校で入学試験の判定会議中でした。教師になって初めての赴任先は県沿岸部の南相馬市にある相馬農業高校。それだけに地震、津波、原発事故に襲われた浜通り地方への思いが人一倍強いのです。


「何か、言葉を発することで役に立てることはないか」。「詩の(つぶて)」と命名し、3月16日に最初の約40作品をネットに載せました。

《放射能が降っています。静かな静かな夜です》《この震災は何を私たちに教えたいのか。教えたいものなぞ無いのなら、なおさら何を信じれば良いのか》《行き着くところは涙しかありません。私は作品を修羅のように書きたいと思います》


翌朝、和合さんのツイッターをフォローする人は500人ほどに。さらに投稿すると次々と増え、現在は1万5千人超に膨らんでいます。この反響を受けて月刊誌「現代詩手帖」(思潮社)5月号は、誌面の約2割の44ページを割き、「詩の礫」を全文掲載しました。ネット書店のアマゾンや東京都内の大手書店で完売が相次いで異例の増刷が決まり、一連の詩を収めた単行本『詩の礫』(徳間書店は6月中旬に刊行されました。


「現代詩手帖」編集長は「震災の被害を伝える映像に言葉が追いつかない無力感を抱いている詩人は多い。瞬間を切り取り、現場にいる人しか出せない温かくて強度のある言葉を発し続ける意義は小さくない」と話しています。



| 和合亮一 | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0)
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