萩原朔太郎 1
     遺 伝

 

   人家は地面にへたばって

   おおきな蜘蛛のように眠っている。

   さびしいまっ暗な自然の中で

   動物は恐れにふるえ

   なにかへの夢魔におびやかされ

   かなしく青ざめて吠えています。

     のをあある とをあある やわあ

 

   もろこしの葉は風に吹かれて

   さわさわと闇に鳴っている。

   お聴き! しずかにして

   道路の向うで吠えている

   あれは犬の遠吠(とおぼえ)だよ。

     のをあある とをあある やわあ

 

  「犬は病んでいるの? お母あさん。」

  「いいえ子供

   犬は飢えているのです。」

   遠くの空の微光の方から

   ふるえる物象のかげの方から

   犬はかれらの敵を眺めた

   遺伝の 本能の ふるいふるい記憶のはてに

   あわれな先祖のすがたをかんじた。

 

   犬のこころは恐れに青ざめ

   夜陰の道路にながく吠える。

     のをあある とをあある やわあ

 

  「犬は病んでいるの? お母あさん。」

  「いいえ子供

   犬は飢えているのですよ。」

 

                詩集『青猫』1923年(大正12


詩の時代区分には諸説があります。太平洋戦争を境として、戦前の詩を近代詩、戦後の詩を現代詩と呼ぶ考え方があります。また、詩の内容やテーマを重視して、萩原朔太郎より前の詩を近代詩、朔太郎以降の詩を現代詩とする考えもあります。

そのため、朔太郎は現代詩の父とも称されています。

ここで大切なのは、時代区分の基準を問うことではなく、なぜ朔太郎が近・現代を分かつ指標となり得たのかということでしょう。

その点をポイントに作品を読み解いていきたいと思っています。


朔太郎と藤村・白秋を比べる時、詩に対する姿勢が全く異なることに気がつきます。

藤村は近代詩の父と称されるように、明治の黎明期、近代的自我に目覚めた人間の感情の解放を目指して、文語による新たな詩の表現を開拓しました。

藤村に続く白秋は、比類のない感覚を生かし、口語自由詩の表現の可能性を拡げ、絢爛豪華な詩業を開花させました。二人とも抒情詩人  人間の情感を()べるタイプの詩人です。


しかし、朔太郎が表現しようとしたテーマは、人間の潜在的な怖れ、本能、病的な神経というような深層心理でした。朔太郎以前に、このようなテーマを手がけた詩人はいません。その意味で、朔太郎は現代詩の父と呼ばれているのです。

なぜ朔太郎はこのような心の闇を描こうとしたのか。それは朔太郎自身の神経症的な人格と大きな関わりがあります。

朔太郎に限らず、神経症は現代人なら誰の心にも潜む心と体の在り方です。ただ、朔太郎は心の悩みに直面した時、あえて詩のテーマとして取り上げ、創造性へとプラスに転化した所に功績があります。


朔太郎の新しさは、従来の詩が日常の五感に触れるものしか取り上げなかったのに対して、潜在意識、深層心理の領域にまで踏み込んだことにあります。

「遺伝」という作品も月に向かって吠える犬を通して、何者かへの恐怖におののいている深層心理を表しています。


「遺伝」について朔太郎の自作自註があります。「夜陰に遠吠えする犬の姿は犬の常態でなくして、全くむしろ飢餓の狼に類している」「かく恐怖の発作は、すべての進化した動物にまで、彼らの遠い先祖を幻想させ、原始の野蛮の生態に導いて行く」(詩論集『虚妄の正義』)


それから朔太郎の特徴のひとつに、深層心理に触れるかのような独自のオノマトペ(擬声語)があります。

〈のをあある とをあある やわあ〉と繰り返される、魂に深く響くような異様なオノマトペ(擬声語)。これは犬の遠吠えを単に模倣したものでなく、原始的な恐怖感を独自のリズムで表現したものです。朗読では末尾を長く伸ばすような発声をすると凄みが出るでしょう。オノマトベ(擬声語)の絶妙な魅力において朔太郎を越える詩人はいないのです。


母と子の会話文も、普通なら、太郎・二郎と人の名を呼ぶ所ですが、〈いいえ、子供〉と書くことで作品に独特の異様さを与えています。

「遺伝」を掲載した詩集『青猫』の〈青〉は憂鬱のblueを象徴しています。あるいは電線の青白いスパーク(=都会への切ない郷愁)を暗示し、この詩集は人生への敗北の告白、生活者として無能の自覚をうたっていると評されています。

| 萩原朔太郎 | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0)
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