三好達治 鴉 2

三好達治は藤村を深く敬愛し、藤村の詩業を継承しながらも、新詩精神(エスプリ・ヌーヴォー)を主張する季刊詩誌『詩と詩論』の代表的な詩人でもありました。

古い革衣(かわごろも)に近代フランスの詩精神という新しい酒を注いだことに達治の功績があります。処女詩集『測量船』には若き日の達治が、「新しい詩歌の可能性を、貧しい私の才分なりに、力をつくして模索しつづけた」と語ったように、バラエティーに富んだ言葉の宝石箱といってもよいでしょう。

近代詩から現代詩に移行する黎明期の詩人が、いかに苦闘し詩想を紡いでいったかが、本作品からも読み解けると思います。

 

恩師の詩人安西均が、作品「鴉」を次のように評しています。

「冒頭の不気味な暗鬱な情景設定に始まり、どこからともなく威圧的に聞こえてくる命令の声の冷たさ、非情さ。その声に服従するよりすべのない人間のひよわさ、哀れさ。言わば、自己の意志でなく、何ものかの力によって醜い姿に変貌させられ、希望も遠ざかり、疲労して、荒れ狂う空の中を吹き飛ばされていく悲哀と屈辱。借辞といい叙法といい、完璧なものである。」

                    「現代詩鑑賞講座10 三好達治」

 

この詩に触れる度に、私はサラリーマン時代の屈辱を思い出します。

上司の指示で、あるいは組織の至上命令で意に染まぬ仕事や、密室の作業に手を汚した苦い経験があります。

私はそのため、在職中は自らの精神を損ないました。だから、この期間、ほとんど一篇の詩も書いてはいません。自分が間違った生き方をしている、自分が自分を裏切っている、という自虐の思いに(さいな)まれている者に、崇高な芸術の所産である詩は生み出せなかったのです。

 

作中人物のように、初めは裸になることさえ屈辱と怒りを感じていたのに、威圧的な声に追い詰められ、飛べと言われ、啼けと言われても逆らえず、その命令に従ってしまう苦渋の心理のプロセスはまるでかつての自分が再現されるようでした。

 

汚濁に満ちた社会の中で生きる現代人は、職場に限らず、学校など、あらゆる人間関係の軋轢(あつれき)の中で、人間性を剥奪されるような作中人物と同じ感慨を覚えるのではないでしょうか。

 

この重いテーマを20代で一篇の散文詩に結晶させた達治の鬼才には驚嘆する他はありません。なお、作詩の動機を達治の軍隊生活に求める説がありますが、テーマを軍隊に絞ると作品の味わいを狭めてしまうのでお勧めできません。


【メモ】三好達治 1900年(明治33年)823日〜1964年(昭和39年)45

大阪市出身。東京帝国大学文学部仏文科卒。芸術院会員。堀辰雄、丸山薫たちと月刊「四季」創刊。現代詩の抒情の回復と発展に寄与。処女詩集『測量船』(昭5)、四行詩集『南窗(なんそう)集』(昭7)、『駱駝の(こぶ)にまたがって』(昭27)他多数。

はじめ職業軍人への道を歩み陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、脱走事件を起こして退校処分となり、京都三高文科に入学。三高時代はニーチェやツルゲーネフを耽読、丸山薫の影響で詩作を始める。大学在学中に梶井基次郎らと同人誌『青空』に参加。その後萩原朔太郎を知り、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる。シャルル・ボードレールの散文詩集『巴里と憂鬱』の全訳を手がけた後、1930年、処女詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。十数冊の詩集の他、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』(昭27・岩波文庫・入手可)、エッセイ集『卓上の花』『路傍の花』『月の十日』など多数。

 若い頃から朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、彼女の両親の反対にあい、断念。  が、アイが夫・佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子 (佐藤春夫の姪)と離婚、アイを妻とし、三国で暮 らす。しかし、すぐに離婚。これを題材に書かれた のが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』で ある。

1953年に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』)、1963年に読売文学賞を受賞(『定本三好達治全詩集』筑摩書房)。翌年、心臓発作で急死。没後、『三好達治全集』12巻(筑摩書房)の刊行が開始された。

萩原朔太郎 26歳 妹アイと

 
  三好の墓は大阪府高槻市の本澄寺にある。三好の甥(住職)によって境内の中に三好達治記念館が建てられている。2006年、昭和を代表する詩人三好達治の業績を記念して「三好達治賞」が創設されている。

ウィキペディアより引用


| 三好達治 | 18:27 | comments(0) | trackbacks(0)
三好 達治  鴉(からす)1


     

 

   風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人

   けない一すじの道の上に私は(はて)しない野原をさ

   まよふてゐた。風は四方(よも)の地平から私を呼び、

   私の袖を捉え裾をめぐり、そしてまたその(すさ)

   まじい叫び声をどこかへ消してしまふ。その時私は

   ふと枯草の上に捨てられてある一枚の黒い上衣を見

   つけた。私はまたどこからともなく私に呼びかけ

   る声を聞いた。

 

      とまれ!

 

    私は立ちどまって周囲に声のありかを探した。私は

   恐怖を感じた。

 

      お前の着物を脱げ!

 

   恐怖の中に私は羞恥と微かな憤りを感じながら、余

   儀なくその命令の言葉に従った。するとその声はなほ

   も冷やかに、

 

      裸になれ! その上衣を拾つて着よ!

 

   と、もはや抵抗しがたい威厳を帯びて、草の間から

   私に命じた。私は惨めな姿に上衣を羽織つて風の中に

   (さら)されてゐた。私の心は敗北に用意をした。

 

      飛べ!

 

   しかし何といふ奇異な、思ひがけない言葉であらう。

   私は自分の手足を顧みた。手は長い翼になつて両腋に

   畳まれ、鱗をならべた足は三本の指で石ころを踏んで

   ゐた。私の心はまた服従の用意をした。

 

      飛べ!

 

   私は促されて土を蹴つた。私の心は急に怒りに満ち

   溢れ、鋭い悲哀に貫かれて、ただひたすらにこの屈辱

   の地をあとに、あてもなく一直線に(かけ)つていつた。

   感情が感情に鞭うち、意志が意志に鞭うちながら  

   私は永い時間を飛んでゐた。そしてもはや今、あの惨

   めな敗北からは遠く飛び去って、翼には疲労を感じ、

   私の敗北の祝福さるべき希望の空を夢みてゐた。それ

   だのに、ああ! なほその時私の耳に近く聞えたのは、

   あの執拗な命令の声ではなかつたか。

 

    ――啼(な)け!

 

   おお、今こそ私は啼くであらう。

 

      啼け!

      よろしい、私は啼く。

 

   そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私

   は啼いてゐた。

 

      ああ、ああ、 ああ、ああ、

      ああ、ああ、 ああ、ああ、

 

   風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私

   は言葉を()いてゐた。冷たいものがしきりに頬を流れ

   てゐた。                           

                      『測量船』1930年(昭和5)


| 三好達治 | 12:41 | comments(0) | trackbacks(0)
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