西條八十 7

「掌」の2篇の〈窪みにわだかまる鉄鎖の無言〉とは、何もないてのひらの窪みに沈む、鉄の鎖でがんじがらめにされたような物言えぬ、創作の苦しさです。

〈指紋の幼児は五つの丘で〉とは、てのひらを母と見立てれば、指はてのひらの子供となります。それで、指の指紋たちは、指という五つの丘の上に登り、作者の悩みをよそに〈青草の夢〉=子供のような幼い夢にまどろんでいる、無邪気な状態です。

 

3連では、〈鳥はもうわたしの掌へは来なくなつた〉と、過ぎ去った若き日の創作力を嘆いています。芸術が枯渇した作者に、自然がせめてもの慰めに与えてくれるのは、〈落葉がさらさらと金貨を落す〉という代償でした。陽の光に輝きながら舞い散る落葉を、このような比喩で表現したのは余人の及ぶ所ではないと思います。

 

終連の、〈わたしは今夜も徹宵(よつぴて)窓外に掌をさしだす〉とは、家族が寝静まった後、“てのひら”でペンを握り、一人創作にいそしむ詩人の孤独な姿を象徴的に描いたものです。

〈月の光のなかで掌は歔欷(きよき)してゐる〉(註:歔欷=すすり泣く)とは、なんと清艶(せいえん)なイメージでしょう。深夜の書斎に射し込む月光を浴びた詩人の姿が彷彿と浮んで来ます。

これこそ、「絢爛たる幻想の底に、いつも象牙のように冷たい感触を秘めた美学」に違いありません。

そして、ここまで八十の代表作を読み進むと、〈蝶の死骸〉、〈涯しない荒野〉、〈石卵〉、〈掌〉はいずれも本質を同じくするイメージであり、壊れた夢、届かなかった願い、の象徴であることがわかるのです。

                         (完)


【メモ】西條 八十1892115 – 1970812日)東京牛込生。

詩人、作詞家、仏文学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)は詩人。長男の西條八束は海洋学者。

早稲田大学文学部英文科卒。早大在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』(のち『仮面』と改題)を刊行。三木露風主宰『未来』にも同人として参加、1919年(大正8年)に自費出版した処女詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立。後にフランスへ留学しソルボンヌ大学でポール・ヴァレリーらと交遊、帰国後早大仏文学科教授。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。1962年、日本芸術院会員。

象徴派の詩人としてだけではなく、歌謡曲の作詞家としても活躍、『東京行進曲』、『青い山脈』、『王将』など無数のヒットを放った。

また、児童文芸誌『赤い鳥』などに「金糸鳥(かなりあ)」「肩たたき」など多くの童謡を発表し、北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人と称された。薄幸の童謡詩人・金子みすゞを最初に見出した人でもある。

 

【エピソード】

森村誠一の小説『人間の証明』の中で、『ぼくの帽子』(『コドモノクニ』)が引用された。

1977年に映画化の際、引用されたセリフ「母さん、僕の帽子どうしたでしょうね?」はキャッチコピーとして使われ有名となった。

                           (ウィキペディアより引用)


| 西條八十 | 09:06 | comments(2) | trackbacks(0)
西條八十 6

(てのひら)

 

   なんのためにさし出した掌か

   もう欲しいものとて無いのに  

   春は黄ろい花粉がこぼれ

   冬はさむざむと雪がかかる。

 

   これがわたしの掌か、

   窪みにわだかまる鉄鎖の無言、

   指紋の幼児は五つの丘で

   まだ青草の夢に見恍(みほ)けてゐる。

 

   どこかで鳥が啼く

   鳥はもうわたしの掌へは来なくなつた、

   落葉がさらさらと金貨を落す、

   これが幼い日わたしが夢みた芸術の(あたい)であつたか。

 

   家族たちよ、みんな眠れ、

   わたしは今夜も徹宵(よつぴて)窓外に掌をさしだす、

   凩は(なみ)のやうに()えて

   月の光のなかで掌は歔欷(きよき)してゐる。

                            詩集『石卵』1987年


恩師高田敏子先生は、「なんという美しいイメージ、美しい静寂感。言葉は、音楽となり、絵画ともなって、心に沁み渡ってゆく。〈落葉がさらさらと金貨を落す〉、ここに込められた現実、なんと美しい比喩の使い方なのだろう」と絶賛しています。


テーマは「蝶」と同じ、真の芸術を求めて挫折した詩人の姿そのものです。

ここでは〈石卵〉に匹敵するものとして、〈掌〉というキーワードを(いろど)り豊かなイメージを駆使して描いています。

物を書く人間にとって、手はペンを握る、命の次に大切な存在です。八十が、てのひらに深い意味をこめた理由はそこにあるでしょう。

物乞いのように差し出したてのひらに乗せられたのは、花粉と雪でした。どちらも美しいだけで現実には役に立たないものの象徴です。作者がこの時欲しかったのは、〈わたしが夢みた芸術の(あたい)〉だったでしょう。

                       (この稿続く)


| 西條八十 | 22:28 | comments(0) | trackbacks(0)
西條八十 5

「石卵」で比喩されているのは、八十が生涯追求し続けた“真の芸術”と言われています。

孵化するものと信じて今日まで温め続けた卵は、〈苦しみぬいたあげく、/朝の光で、これは石卵であったのだ。〉と判明します。

真の芸術に到達できるものと研鑽と労苦に耐えて来たのに、その夢は打ち砕かれました。

その絶望感を、孵化することのない死んだ卵=石卵と譬えたのでした。

 

3連の、薔薇を抱いて逝った姉、黒苺を食べて死んだ義弟のくだりは、夢を追いながら志なかばで倒れた家族を暗示していると思われます。

八十の姉は文学少女で、幼少から八十に少なからぬ文学的影響を与えた人物です。

一生、ロマンを追い求めた姉を、〈薔薇を抱いて逝つた〉と譬えたのでしょう。

また、〈黒苺を(くら)つて死んだ〉とは、詐欺や放蕩など、人の道に外れた生き方をした身内を比喩したものと私には思えます。〈薔薇〉〈黒苺〉という高貴な言葉使いに作者の品格が現れています。

彼等も〈石卵〉を温めながら亡くなったと言えるかも知れません。

 

4連の終行は、八十の歌謡曲への並々ならぬ情熱をうたったものです。

八十作詩の戦前の大ヒット曲「東京行進曲」について『日本歌謡集』(現代教養文庫)には、「早大の教授(仏文)から流行歌の作詞家となるには、今ならいざしらず、その頃は勇気を要した。西條八十は、その道を敢然と進んで、大をなした人。彼の流行歌界に与えた影響はまことに大きい」と記されています。

〈鵠は飛ぶぞ、流行歌ながれる(まち)のうへを、高く、遠く。  の詩行には、真の芸術には到達できなかったが、歌謡界の道をまさに敢然と進もうとする八十の決意が現れています。

 

2連に書かれた「鵠」は、音読みは〈くぐい〉で、白鳥の古名。同じ連に、家鴨が出て来るのは、「刻鵠、不成類鶩者也」(後漢書・馬援伝)=(こく)(きざ)んで、成らざるも、なお(ぼく)に類す、という漢文に典拠しているためです。

文意:白鳥の彫刻に失敗しても、アヒル(=鶩)には見える。優れた人を目標にして学べば、その人に及ばなくても、それに近い人になれるという譬え。

八十の父・十兵衛は、質商をしていた旧家の西條家の番頭となり後に後継者として養子になりました。1880年(明治13)、日本で初めてといわれる石鹸工場を作った人物です。

父親を〈奇異な鵠〉と八十が呼んだのは、そのあたりの事情を踏まえてのことでしょう。

                       (この稿続く)

| 西條八十 | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0)
西條八十 4

   石卵(せきらん)     

 

   小さい謎の卵を

   わたしはこの草むらに隠す、

   わたしは雪白の翼をひろげて

   二度と戻らぬ蒼穹(おほぞら)へ往かう。

 

   わたしの父も、おそらく

   奇異な(はくてう)であつたのであらう、

   相模の農家に生まれた彼は

   醜い家鴨(あひる)であつたのかも知れない。

 

   孵化(かへ)し得ると信じてゐた、

   昨日(きのふ)までは、固く、  

   だが苦しみぬいたあげく、

   朝の光で、これは石卵であつたのだ、

 

   姉は薔薇を抱いて逝つた、

   義弟は黒苺を(くら)つて死んだ、

   わたしは廃屋の屋根裏で

   ずゐぶん永くこの卵を抱いて歌つてゐた。

 

   いよいよ、この卵を置きざりにして

   空へ飛ぶわたしの姿を見ろ、

   星の光が冴え、野菊が匂ふころ、

   鵠は飛ぶぞ、流行歌ながれる(まち)のうへを、高く、遠く。  

                                       

 「石卵」は1987年(昭和62)八十没後17年を経て編纂された遺稿詩集に収められています。

西條嫩子のあとがきには、「永遠の詩の中の少年八十にささぐ」と記されていて、「何故これだけの若き日々の作品、熟年の佳作、孤独の老境の円熟のペン……(中略)、どうして生前に(まと)めてあげられなかったのだろう……」と後悔の念が綴られています。

「今思い出すと父は喉頭癌の病床でも元気げに紛らわしていたが一抹さびしげでもあった」

「そんな時であろうか。(嫩子の知人が訪れ)先生の詩集をどうしても出したいと言っている所がありますが、と呟いた。その一瞬、父の顔色がサッと病床で紅潮したのを記憶している。父はあまりに佳作が放置されているのが残念だったのだ……と今にして頷ける」

このあとがきから、詩集『石卵』は父親を蘇らせる思いの出版であったことがわかります。

                      (この稿続く)


| 西條八十 | 14:35 | comments(0) | trackbacks(0)
西條八十 3
                西條 八十

 

   行けども、行けども

   (はて)しない荒野(あれの)

   青白い花ばつかりが咲いてゐる、

   こんな寂しい旅を

   私はいままでしたことが無い。

 

   ふと、(ふりかへ)ると

   私は戀人の顔の上を

   あてどなく彷徨(さまよ)つてゐた。

                     詩集『砂金』1919年

 

この詩には西條嫩子の鑑賞文があります。

目がさめていた時、生き生きと溌剌とした愛の表情を送っていた人が、ふと籐椅子かでこしかけたまま寝いってしまった。自分一人この広い宇宙にとりのこされたような寂しさ、行きどころのない一人ぼっちの寂しさをこの詩はえがいている。

 

熱愛の最中にある恋人同士というものは、一緒にいても相手が数分でも傍を離れると孤独感を覚えるといいます。作者は、まどろみの中にいる恋人の寝姿を見て、彼女がまるで別の国に行ってしまって、自分だけが取り残されたような寂しさを覚えたのでしょう。

 

眠りによって恋人から疎外された寂しさを、八十は生の情感で描くことはしませんでした。恋人の寝顔を果てしない荒野に見立てるという、斬新な象徴的発想で構成しています。

そこに八十の象徴詩人としての自負と信条があります。


「顔」が収められた処女詩集『砂金』は、1919年(大正8八十28歳の自費出版。総羊皮紙に天金(本の上端を金で塗る装幀。聖書などに多い)を施した豪華本で、ほとんどの詩篇が象徴的手法で書かれています。

なお、『砂金』は上梓して1カ月で完売。18回も版を重ねたベストセラーとなりました。



| 西條八十 | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0)
西條八十 2
 作品「蝶」は、今では座右の銘のような存在となっています。夢を追い続ける人間の哀しみを凝縮した、忘れることのできない一篇です。

私はこの詩によって、詩の重要な技法である、暗示、象徴というものを体感しました。

 

蒼白い破れた蝶の死骸は何を暗示しているのでしょう。蝶の翅は、すぐに破れてしまう、もろくて儚いものです。

人間が追いかければ追いかけるほど遠くへ行ってしまうもの。しかも、捕えたと思えば、すでに死んでいるもの。(しま)っておけば、じきにぼろぼろになるもの。

これはまさしく、詩、愛、夢という亡びやすい美しさの象徴なのです。

 

なお、八十の娘・嫩子(ふたばこ)はこの詩について、身内ならではの異なった感想を寄せています。

 

父の詩人の幻想は女性を美化し、いつかその幻想に覚める日まで陶酔しえたのだった。

(蝶は)女性のはかない幻想を父は蝶を追う自分の心にたとえたのであろう。

『父 西條八十』西條嫩子

 

「蝶」に見られるように、八十の詩の特徴は、「絢爛(けんらん)たる幻想の底に、いつも象牙のように冷たい感触を秘めた美学」(詩人・村野四郎)にあります。そしてこの「象牙のように冷たい感触」こそ、近代知性の反映でもありました。

 

1連で、〈やがて地獄へ下るとき/そこに待つ父母や/友人〉とありますが、気がかりな一文です。亡くなった家族や友人を詩でうたう時、“天国”に旅立ったという表現を取ることが一般的なのに、八十は家族はおろか友人までも地獄行きにしています。

他者に対する冷徹さと、家族への屈折した思いの所産なのでしょうか。

プロの目の厳しさを感じさせる章句です。

| 西條八十 | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0)
西條八十 1

恩師高田敏子先生と出逢う前、詩に興味を持ち始めた私は、独学で詩作入門書のたぐいを(あさ)っていました。たまたま手にした本に西條八十の「蝶という詩がありました。

私は目が釘付けになりました。

まだ、詩には無知ながら、この作品を通して私は、詩とは何か、ということを瞬時に感得したように思います。

 

              西條 八十

 

   やがて地獄へ下るとき

   そこに待つ父母や

   友人に私は何を持って行かう

 

   たぶん私は懐から

   蒼白い、破れた

   蝶の死骸をとり出すだろう

   さうして渡しながら言ふだろう

 

   一生を

   子供のやうに、さみしく

   これを追ってゐました、と

 

            詩集『美しき喪失』1929年

 

西條八十は、詩人・フランス文学者として日本の近代詩に大きな足跡を残しました。

しかし、童謡「かなりあ」、歌謡曲「王将」を代表とする童謡詩人、作詞家として著名なために、詩壇からの評価は低く見積もられて来ました。

詩の分野以外に、少女小説、童謡、民謡、小唄、歌謡曲、軍歌など、大衆文芸の世界まで精力的に仕事の幅を広げた、異能の巨人であったことが却って災いした恨みがあります。


フランス留学仕込みである本業の象徴派詩人としての名作もあまたありながら、近代詩人の系譜から疎外され世に知られていません。

かく言う私も、恩師高田敏子先生から、八十晩年の詩集を紹介されるまで、その輝ける業績には不明でした。

今回は八十の隠れた名品を発掘する思いで彼の代表作を紹介していきたいと思います。

(この稿続く)


| 西條八十 | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0)
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