金子光晴 4
 

     くらげの唄

 

    ゆられ、ゆられ

    もまれもまれて

    そのうちに、僕は

    こんなに透きとほってきた。

 

    だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。

 

    外からも透いてみえるだろ。ほら。

    僕の消化器のなかには

    毛の禿()びた歯刷子(ハブラシ)が一本、

    それに、黄ろい水が少量。

 

    心なんてきたならしいものは

    あるもんかい。いまごろまで。

    はらわたもろとも

    波がさらっていった。

 

    僕? 僕とはね、

    からっぽのことさ。

    からっぽが波にゆられ

    また、波にゆりかへされ。

 

    しをれたのかとおもふと、

    ふぢむらさきにひらき、

    夜は、夜で

    ランプをともし。

 

    いや、ゆられてゐるのは、ほんたうは

    からだを失くしたこころだけなんだ。

    こころをつつんでゐた

    うすいオブラートなのだ。

 

    いやいや、こんなにからっぽになるまで

    ゆられ、ゆられ

    もまれ、もまれた苦しさの

    疲れの影にすぎないのだ!

                        詩集『人間の悲劇』1952

 

この詩は、前回に取り上げた村野四郎著『現代詩入門』に掲載されていました。

同書に懇切な解説があるので記しておきます。

この淋しいクラゲによって暗喩しているものは何でしょう。それは言うまでもなく、原形さえ(とど)めなくなって、人生の波間をただよう疲れた人間存在のすがたです。

しかし、それが単に人生に疲れたとか、退屈したというような生やさしい姿でないことは、このトボけたような調子の底にひそんでいる、ある異様な悲愴感を感じとる人には、ただちに理解できるはずです。

それは、何かひどい迫害をこうむった後の空白感、絶望を通りぬけた後の、へんに明るい虚脱感といったようなものが、この泣きつかれた後の鼻唄のようなイメージやリズムの底に感じられないでしょうか。それこそ、この詩の最大のテーマであり、この詩の情緒の原質であり、またこの詩人の技術のおそろしさでもあります。

 

〈この詩人の技術のおそろしさ〉を伺わせるものとしては、例えば2連の〈僕の消化器のなかには/毛の禿びた歯刷子が一本、/それに、黄ろい水が少量。〉という詩句があります。

ロマンチックで美しい描写とはほど遠いものです。でも、自分が「からっぽ」であることを、こんなにリアルに表現した修辞(レトリック)があったでしょうか。

〈毛の禿びた歯刷子〉には、使い古した粗末な生活用具から持ち主のすさんだ境遇が伝わって来ます。〈黄ろい水が少量〉とは排泄物を言い換えた表現ですが、自分の身体にはもうこんなうす汚い、無用のものしか残っていないという哀れさが漂います。

 

〈心なんてきたならしいものは/あるもんかい。いまごろまで。/はらわたもろとも/波がさらっていった。〉という、吐き捨てるような言葉に初めて触れた時、私は心に鈍い痛みを感じました。汚れ切った心など、とうの昔に捨ててしまったよ、という作者の自嘲の嘆きを、まるで自分が呟いたかのように深く共感したものです。

 

〈しをれたのかとおもふと、/ふぢむらさきにひらき、/夜は、夜で/ランプをともし。〉もからっぽの人間の哀しい(さが)を表しています。

生きている存在感を失くし、波間に揺られても、時々思い出したように色を滲ませ、夜の闇に淡い光を灯す姿は、まだかろうじて命を保っている切なさを感じます。

 

詩集タイトルの「人間の悲劇」とは、敗戦後の日本人の心の荒廃と汚辱の現実を意味しているといわれています。私は戦後生まれで、戦争世代の日本人が味わった虚脱感は知る由もありません。しかし、戦時下の人達が必勝を信じて裏切られたように、自分が信じ切っていた心の拠り所が一挙に崩れ去った絶望感なら私にも経験があります。あるいは、戦災で大切な人を亡くしたように、無二の親友を事故で喪った虚脱感なら私にも追体験できます。

 

一篇の詩をどんなに理解し、味わっても、自分の経験を通して読まない限り、真に自分のものにはならない、というのが私の持論です。ですから、「くらげの唄」が敗戦後の風景を背景にして、現代人の悲劇を描いているから自分とは無縁の詩だと考えるのは間違っています。過去の作品は読者の個人的経験を通して読むことで、時代を越えた真の価値を再生することができるでしょう。

村野四郎が指摘した〈何かひどい迫害をこうむった後の空白感、絶望を通りねけた後の、へんに明るい虚脱感〉を、この詩を通して共感していただければありがたいです。

                       (この稿続く)


| 金子光晴 | 11:46 | comments(0) | trackbacks(0)
金子光晴 3

光晴の詩風の特徴は、「おっとせい」で顕著に現れているように、洪水のように溢れる饒舌体です。でも、この饒舌は様々な表現技術が巧みに組み合わされています。

まず、嗅覚的要素。〈そのいきの臭えこと。/くちからむんと蒸れる。〉で、おっとせいを嫌悪すべきものとして捉え、〈臭えこと〉という、べらんめい調(江戸言葉。ぞんざいな感じの口調)の俗っぽさで、侮蔑感を強めています。次は、触覚的な要素。〈そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。〉という醜悪で陰惨な外観を表現しています。

 

さらに視覚的要素。〈そのからだの土嚢(どのう)のやうな/づづぐろいおもさ。かつたるさ。〉で、〈づづぐろい(どす黒い)おもさ〉という見た目の重量感から、重い身体でさぞかし、かったるいだろうと感情移入しています。〈いん気な弾力。/かなしいゴム。〉は、おっとせいのどす黒く鈍重な身体の暗喩です。

 

外面描写が終ると、〈そのこゝろのおもひあがつてること。/凡庸なこと。〉 と、内面描写に移ります。おっとせいが象徴しているのは作者が嫌悪してやまない醜悪な日本人だからです。と言っても、日本人そのものを嫌悪しているのではありません。日本人の中の悪徳を嫌悪し攻撃しています。〈菊面。/おおきな陰嚢。〉で、醜悪な人間像が浮かび、〈鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆〉に至って、一頭のおっとせいは人間の群衆へと重なっていきます。そして、この群衆が作者の最も忌み嫌う〈俗衆といふやつら〉なのです。

 

二連で、俗衆とは断固として協調せず、徹底的に糾弾する姿勢を表しています。

ヴォルテール(フランスの啓蒙家。体制を諷刺してバスチーユに牢獄された。)やグロチウス(オランダの法学者。国家反逆罪で投獄された。)の真価を知らず、他人の言動につられて投獄した俗衆を批判しています。

バタビア(現・ジャカルタ)はインドネシアの首都。「おっとせい」創作当時は、オランダの植民地。リスボン(ポルトガルの首都)は、植民地支配に狂奔する西欧列強の根拠地でした。

〈地球を、芥垢(ほこり)と、饒舌(おしゃべり)で/かきまはしてゐるのもやつらなのだ。〉とは、これら強欲な国家権力と政商を名指して批判しています。

 

〈嚔をするやつ。……〉から続く詩行は圧巻です。むほん人、狂人、権妻(妾)、血のひき(乱交で生まれ、汚れた血を受け継ぐ者)、朋党(徒党を組んだ悪人)と、悪口言葉の奔流は留まることを知りません。

〈かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁〉とは、おっとせいの雑婚の習性を基にした乱交のイメージを描いています。あまたの雌雄のおっとせいが互いに交わり、その群れが大きな壁のように膨れ上がり、海流さえも()き止めるおぞましい情景に見えたのです。

 

この醜悪な俗衆の上には、〈霙のやうな陽〉が降り注ぎ、見えない〈金網〉で無限に取り巻かれていました。それは、寒々とした、自由のない環境の中で生きている(みじ)めな姿を暗示しています。〈けふはやつらの婚姻の祝ひ。/きのふはやつらの旗日〉とは、快楽と歓楽に浮かれる日常を譬えていますが、〈砕氷船が氷をたゝくのをきいた〉という、彼らの生活の安定基盤である氷が壊れる運命にまだ気づいていません。この詩句は、1937年の創作当時、戦争の足音が間近に聞こえて来た危機感が背景になっているように思われます。

三連に至り、やがて第二次世界大戦が勃発し、日本という(もろ)い氷上にいた俗衆は、おっとせいのように〈やつらをのせたこの氷塊が、たちまち、さけびもなくわれ、深潭(深淵)のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも気づかずにゐた。〉と滅亡への道筋を示しています。

 

危機的状況が目前に迫っているのに、〈みだりがましい尾をひらいてよちよちと、/やつらは氷上を()ひまはり、/…………文学などを語りあつた。〉

ここで〈文学などを語りあつた〉ということは、俗衆の中に文化人や文学者も含まれていることを意味します。俗衆とは単に一般大衆ではなく、知識人も批判の対象となっています。

戦時中、多くの著名な文化人・芸術家が戦争協力、戦争讃美の作品を作りました。光晴はその事実も、おっとせいに託して糾弾しているのでした。

 

〈凍傷にたゞれた落日の掛軸よ!〉は、霜焼けで赤黒く染まったような落日が描かれた掛け軸を、俗悪な日本的風俗の象徴として描いています。

〈だんだら縞(ストライプ模様)のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴ら〉とは、戦時下の朝礼などで全員が集合し、整列した群衆が朝日に照らされて長い影を引き、天皇への絶対的忠誠を誓って(こうべ)を垂れ、拝礼している光景を譬えています。

 

その中で、〈侮蔑しきつたそぶりで、/たゞひとり、/反対をむいてすましてるやつ。〉がいます。それが、作者である〈おいら〉。

光晴が優れているは、俗衆と自分とは無縁のものだと、一段と高みから批判していないことです。〈おいら〉も、〈おつとせいのきらひなおつとせい〉であって、俗衆の一員に過ぎないという、冷徹な自己認識があります。

 

ただ、俗衆は俗衆であっても、「むかうむきになつてる/おつとせい」と括弧で括って強調したのは、それでも自分は他の俗衆とは違うんだという、ぎりぎりの苦い自己主張でしょう。

だから、作品の終曲部の余韻はやるせない哀しみが漂っています。

この詩が単なる侮蔑、嘲笑の低次のレベルで終らず、この世の俗悪さに呑み込まれている者の心情に深く訴えるのは、詩人の(おのれ)を見つめる冷めた眼と生きた人間の温もりがあるからだと思います。

数ある悲憤慷慨の詩の中でも、日本を代表する白眉の作品に違いありません。

 

この長編詩は、一見、悪口雑言と呪詛(じゅそ)の列挙とも見えますが、この詩がかくも迫力があるのは、作者の豊穣な語彙力もさることながら、徹頭徹尾おっとせいのイメージを通してメッセージを表現しているからです。恩師安西均先生が、詩はイメージで書くと常々明言されていたように、イメージを駆使したことで、千変万化の詩的表現が可能となったのです。

                       (この稿続く)


| 金子光晴 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0)
金子光晴 2
 

     おつとせい

 

        一

 

    そのいきの臭えこと。

    くちからむんと蒸れる。

    そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしてること。

    虚無(ニヒル)をおぼえるほどいやらしい、

    おゝ、憂愁よ。

 

    そのからだの土嚢(どのう)のやうな

    づづぐろいおもさ。かつたるさ。

 

    いん気な弾力。

    かなしいゴム。

 

    そのこゝろのおもひあがつてること。

    凡庸なこと。

 

    菊面(あばた)

    おおきな陰嚢(ふぐり)

 

    鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、

    おいらは、反対の方角をおもつてゐた。

 

    やつらがむらがる雲のやうに横行し

    もみあふ街が、おいらには、

    ふるぼけた映画(フイルム)でみる、

    アラスカのやうに淋しかつた。


        二

 

    そいつら。俗衆といふやつら。

 

    ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー・グロチウスを

    獄にたゝきこんだのは、

    やつらなのだ。

 

    バタビアから、リスボンまで、地球を、芥垢(ほこり)と、饒舌(おしゃべり)

    かきまはしてゐるのもやつらなのだ。

 

    (くさめ)をするやつ。髯のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどつた

     身振り、しきたりをやぶつたものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人(きちがひ)

     とさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦(めうと)だ。

     権妻(ごんさい)だ。

     やつらの根性まで相続(うけつ)(せがれ)どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。

     あるひは朋党だ。

     そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの

     障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

 

     おしながされた海に、(みぞれ)のやうな陽がふり(そそ)いだ。

     やつらのみあげるそらの無限にそうていつも、金網があつた。

 

     ………… けふはやつらの婚姻の祝ひ。

     きのふはやつらの旗日だった。

     ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたゝくのをきいた。

 

     のべつにおじぎをしたり、ひれとひれとをすりあはせ、どうたいを樽のやうにこ

      ろがしたり、そのいやらしさ、空虚(むな)しさばつかりで雑鬧(ざつたう)しながら

      やつらは、みるまに放尿の(あぶく)で、海水をにごしていつた。

 

     たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはい

      たはりあふめつきをもとめ、かぼそい声でよびかはした。


        三

 

     おゝ。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせ

      たこの氷塊が、たちまち、さけびもなくわれ、深潭(しんたん)のうへをしづかに辷りはじ

      めるのを、すこしも気づかずにゐた。

     みだりがましい尾をひらいてよちよちと、

     やつらは氷上を()ひまはり、

     …………文学などを語りあつた。

 

     うらがなしい暮色よ。

     凍傷(しもやけ)にたゞれた落日の掛軸よ!

 

     だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴ら

      の群衆のなかで、

     侮蔑しきつたそぶりで、

     たゞひとり、

     反対をむいてすましてるやつ。

     おいら。

     おつとせいのきらひなおつとせい。

     だが、やつぱりおつとせいはおつとせいで

     たゞ

     「むかうむきになつてる

      おつとせい」

                          詩集『鮫』1937


                       (この稿続く)

| 金子光晴 | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0)
金子光晴 1

反骨の文化人として知られる金子光晴ほど数多くの讃辞を冠している詩人はいないでしょう。

抵抗派詩人、社会派詩人、象徴派詩人、耽美派詩人、反戦詩人など。逆に考えれば、今、列挙したいずれの形容にも当てはまらない巨人だということでしょう。

 

金子光晴が大きくクローズアップされたのは戦後です。日本人は、太平洋戦争という勝ち目のない不条理な戦争を起こした反省から、戦時下、時の権力に抵抗し続けた、この詩人を高く評価しました。光晴は、戦争中も反戦の立場を取り息子をわざと病気に近い状態にして兵役を免れさせています。反戦詩人と言えば、金子光晴の名が直ちに挙がりました。

 

反戦詩人といっても、金子光晴は特定の主義主張を持っていたわけではありません。

生来のボヘミヤン(社会的慣習に縛られず、芸術を志して自由奔放な生き方をする者)精神によって、自分の自由と尊厳を圧迫して来る脅威と徹底的に闘っただけです。

光晴の自由を生きる資質は、幼少から成人に至るまで、反抗と流浪を繰り返して培われて来ました。

 

放浪癖は学歴においても変わらず、早稲田、慶応、東京美術学校(現・東京芸術大学)への入退学を繰り返し、その後、渡欧してベルギーに滞在。この時期にヴェルハーレン、ボードレールの詩に心酔、帰朝してから、大正12年に詩集『こがね虫』を出しました。その後、再度渡欧し、帰朝後に刊行した詩集『鮫』で反俗的な批評精神を発露させました。

戦時中は、戦争反対の立場から山中湖畔に隠棲していましたが、戦後精力的に活動を開始、詩集『落下傘』『蛾』『鬼の児の唄』『非情』『IL』を次々に刊行し、『人間の悲劇』によって読売文学賞を受賞しました。

 

放蕩無頼の詩人という点では、生い立ちなどが中原中也と類似した所があります。

死ぬまで恋多き人であり、挫折も絶望も人一倍、味わって来ました。

中也が日本国内を放浪したように、光晴はスケールを一段と広げ、欧州とアジアを彷徨(さまよ)っています。放浪生活はひどく困窮したものでした。しかし、光晴は食い詰めると、得意の画才を発揮して現地で自作の展示即売会を開き、それを資金に他国への旅行代金をかせぐ逞しさがありました。

 

私が光晴をいつも羨望の思いで敬愛するのは、自分とは遥かにかけ離れた大きな器の持ち主であるからです。私も若き日、文学を志して郷里を後にし、貪欲に東京の至る所へ脚を伸ばしました。様々な先達に会い、様々な文学サークルに首を突っ込んだりしました。

その中でやり残したこととして、今も悔いているのは、留学しなかったことです。

 

自分で言うのも気がひけますが、受験勉強の成果もあって英語はある程度習得していました。

でも合格と同時にせっかく培った能力をすべて無にしてしまいました。あくまで入試を突破するための方便であり、入学後も英語力を伸ばすモチベーションを持っていませんでした。

受験で築いた語学力の上に、さらに研鑽を重ねていれば、少なくとも英語の教師には成れたのではないかと、今更ながら儚い夢を描いています。

 

のたれ死にする位の覚悟で、欧米で何年か生活していれば、その後の人間的成長にどんなにか役立ったかわかりません。また、どんな場所でも独力で暮せる逞しさを身につけられたと思います。私は光晴のように画才はないので、劣悪なアルバイトでもしなければ生活できなかったでしょうが、青年の身で異国で苦労する価値はあったと思うのです。

でも、当時の私は外国で生活するだけの勇気も、気概もありませんでした。身体も心の器も卑小な自分にいつも劣等感を抱いていましたから。

 

ですから、あとさきを考えず、志のままに異国の地に飛び込んでいった光晴の生き方が眩しく見えるのです。その作品に触れる度に、詩人というのは、こういう人種を言うのだと教えられる思いがします。

次回の作品紹介では、光晴の詩のスケールの大きさ、人として詩人としてのスケールの大きさを伝えることができればいいと思っています。

                       (この稿続く)


| 金子光晴 | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0)
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