高見順 17

 

       不 安

 

     僕は不安で堪らない

     僕がサナトリュームにゐる間に

     家に置いてきた子猫が

     僕を忘れてしまひはせぬか

 

     今の僕は小説を書くことを忘れ

     小説からも忘れられるかもしれないことを

     そんなに不安に感じてないが

     ただこれだけが僕には気がかりだ

 

     人生の事柄のなかには

     見たところ下らない事柄のやうで

     その根はひそかに深く人生の悲しみに通じてゐる

     さういふ馬鹿にならないものがあるが

 

     僕にはその一種と思へてならぬ

     僕の好きな好きな子猫が

     僕をあんなに慕つた子猫が

     僕をケロリと忘れてしまふ悲しみ


長期にわたる闘病生活で文壇から忘れられることよりも、家で飼っている子猫に忘れられる方が心配だと作者は言います。

〈人生の事柄のなかには/見たところ下らない事柄のやうで/その根はひそかに深く人生の悲しみに通じてゐる〉という章句がなかったら、これは高見順の逆説ではないかと思ったかも知れません。

人から見たら無価値のようなものでも、本人にとっては命にかえてもいいほど大切に思っているものがあります。高見順のこの章句を読んで、私が思い出した作家がいます。


芥川龍之介です。芥川の自殺直後に遺稿として出てきた『或る阿呆の一生』という散文詩風の自叙伝小説があります。その中にこんな一節があります。

 

  火花

 

 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也(かなり)烈しかつた。彼は水沫(しぶき)の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。

 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。

 架空線は不相変(あひかはらず)鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、  (すさ)まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。

 

芥川が命と引き換えにしてもほしかった高架線の火花とは何であったのか。人生の中で特にほしいものはなかったという作家。懐中の小説原稿よりも大切な火花とは何だったのでしょうか。

私にはこの〈火花〉が、高見順の〈子猫〉に通じるものだと思えるのです。

高見順の語るように、芥川にとって〈火花〉とは、〈その根はひそかに深く人生の悲しみに通じてゐる〉ものなのでしょう。

                       (この稿続く)


| 高見順 | 19:44 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 16

 

       葉 脈

 

     僕は木の葉を写生してゐた

     僕は葉脈の美しさに感嘆した

     僕はその美しさを描きたかつた

 

     苦心の作品は しかし

     その葉脈を末の末までこまかく描いた

     醜悪で不気味な葉であつた

 

     それはたしかに十歳位の頃だつた

     それはついこの間のやうで

     あゝ その日から三十何年経つてゐる

 

     三十何年振りに僕は

     葉脈の美しさに感嘆してゐる

     三十何年の早さ短さに感嘆してゐる

 

     感嘆しつゝこまかい葉脈を見てゐると

     嘗(かつ)てのこまかい写生の醜さのやうに

     自分の三十何年のこまかい醜さがありありと思ひ出される


「高見順 12」でお話した、高見順の詩の特徴である、「人間くさい風景ないし外界の描き方」(吉野弘)がよく出ている作品です。詩と言うより、詩の形で書かれたエッセイといった印象です。

〈自分の三十何年のこまかい醜さ〉というのが、この作品のテーマになると思いますが、前半の写生のエピソードを、後半は巧みに比喩に転化させて語っているために、生々しい具体性と詩的迫力があります。

                       (この稿続く)


| 高見順 | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 15
 

夕方、曇り空をバックに鮮やかな虹をバスの車窓から見ました。虹を見たのは久しぶりでした。おまけにきれいな半円形が街の上空に大きく架かり、虹の素足がビルの谷間に降りていました。私は思わず子供のように眼を見張って最寄駅に着くまで虹の影を追っていました。


ところが、バスの車中に目を移すと、ほとんどの人は外の風景には関心がないのか、ケータイ画面をにらめっこしている若者、自分の思いの中に沈み込んで、石像のように前を見つめている中高年の姿が目につきました。


私の後ろに座っていた若い女性がケータイで友達と話をしている声が聞こえてきたのですが、友達から虹が見えると聞いたので、初めて虹が出ているのに気づいたようでした。それまでは車外の風景にはまったく関心がなかったのでしょう。


オーバー・ザ・レインボー(虹の彼方に)という有名な歌があります。往年のミュージカル映画『オズの魔法使い』の劇中歌。

「虹の彼方のどこか高い空の上に/いつか子守歌で聞いた国がある/虹の彼方の空は真っ青で/そこでは どんな夢もかなえられる//いつか私は星に願いをかける/そして私が目を覚ますと/雲は遥か彼方に去っていて/そこでは悩みごとなんて/レモンドロップみたいに溶けてしまう/煙突のてっぺんのずっとずっと高いところ/そこが私がいる場所なんだ//虹の彼方では青い鳥が飛んでいる/鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら/私にだって飛べるはず//幸せの小さな青い鳥たちが/虹を超えて飛んで行けるのなら/私にだってできないはずはない」


私も虹のアーチを眺めながら、あのアーチの下を歩いたら、きっといいことが待っているんだろうなと、たわいもないことを思ってしまうのですね。

しかし、あのバスの乗客のように、虹を見ない人達にはどんな幸せが訪れるのだろうかと私は思いました。虹を黙殺する人にやって来る幸せとは、どんな種類の幸せなのかと・・。


傲慢な言い方かも知れません。確かにみんな生活に追われて虹を見る余裕などないのでしょう。私も苦しい時は、外界に注意を向ける余裕はありませんでした。それでも私は、虹を見ない人生は淋しいと思います。


考えてみれば詩の世界も、虹のようなものです。経済面・生活面でこの世の何の役にも立ちません。人が無視しても当然なのだと思います。

でも、この猥雑な街角に、それこそ奇蹟のように架かっている虹と同じ美しいものが、言葉の世界にも架かかっているのです。高見順の作品にある虹を見て、詩心を取り戻し励まされていきたいと願っています。

                        (この稿続く)


| 高見順 | 20:28 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 14

       内部

 

 

     日暮とともに

     私の内部も暗くかげつて行く

     いち早く暗くなるこの病室や

     あの木のかげなどより

     私の内部が

     いちばん早く暮れて行く

 

前回、高見順は、身の周りのものを心の譬えとするのが特徴だと述べました。

その当然の結果として、詩には、「私の内部で」「私の心の中で」「私の中を」というフレーズが多出します。この作品も、その典型でしょう。

「内部」という文学的ではない硬質な響きを持つ言葉を、高見順独特の人間くさい描き方で詩的に化学変化させているのです。

 

      戦慄

 

 

     おゝ 麗らかな日よ

     あなたは

     美しい樹木のなかで生きてゐる

     美しい樹木の葉がきらりと光つた今

     今 わたしは初めてさとつた

     あなたは

     美しい樹木のいのちとして生きてゐる

     あなた 麗らかな日のいのち

 

     おゝ このわたしの

     死にさうな感動

     限るあるいのちのなかで生きるとは

     しかし あなたは

     あなたは人間のなかでは生きない

     生きるとすれば

     せいぜい 人間の美徳のなかに生きる

     あなたの秘密をのぞいて

    わたしの生き身は葉のやうに戦慄する

 

この作品であなたと呼びかけられている存在は、1連の末尾に〈あなた 麗らかな日のいのち〉とあるように、〈いのち〉であると知れます。

その〈いのち〉は、〈美しい樹木のなかで生きてゐる〉、〈美しい樹木のいのちとして生きてゐる〉存在です。

2連では、〈あなたは人間のなかでは生きない〉、〈せいぜい 人間の美徳のなかに生きる〉とも言い換えています。

この〈いのち〉とはどのようなイメージであるのか。それを読み解くヒント「高見順 5」で取り上げた「立っている樹木」が参考になると思います。

                                 (この稿続く)

| 高見順 | 18:29 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 13
 

       葡萄に種子があるやうに

 

 

     葡萄に種子があるやうに

     私の胸に悲しみがある

 

     青い葡萄が

     酒に成るやうに

     私の胸の悲しみよ

     喜びに成れ

 

高見順が、心の譬えとして用いる素材は、身の周りの極めてありふれたものばかりです。

「葡萄」、「椅子」、「窓」など、特別な材料はありません。だからこそ、人間くさいと評されるのでしょう。

 

 

       生

 

      手拭は

     乾くそばから

     濡らされる

 

     手拭は

     濡れるそばから

     乾かんとする


手拭が、これほど人間の心の比喩  心象風景として語られるのは、まさに高見順の「人間くさい風景ないし外界の描き方」に即しているといえるでしょう。

乾くそばから濡らされる手拭とは、次々と心に押し寄せて来る悲しみ、不幸を比喩しています。濡れるそばから乾こうとする手拭は、苦難を乗り越えて生きようとする意志が重ねられています。

                       (この稿続く)


| 高見順 | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 12

      窓

 

     煙草の灰と

     言葉の灰とで

     よごれた部屋の

     窓を急いであけてくれ

     心の窓と一緒にあけてくれ

     心の部屋には

     来客は無かつたが

     しめつきりにしておいたので空気が濁つた

 

     妻よ

     窓をあけ放つてくれ

     無言の天へ向けて

     沈黙の樹木へ向けて

 

高見順の詩の特徴である、「人間くさい風景ないし外界の描き方」(吉野弘)が典型的に現れている作品です。「人間くさい風景」とは、周りの出来事、事物がすべて心象風景として描かれることです。「必ずといっていいくらい、人間ないし人生の姿というものが、引き出されている」(吉野弘)と。

「窓」においても、まず〈煙草の灰〉と書くと、次に〈言葉の灰〉とたたみかけるように、自分の心の譬え(=心象風景)に変えます。同じように、〈窓〉をあけてくれ、と呼びかけると、次に〈心の窓〉をあけてくれ、という章句が続きます。〈心の部屋〉という譬えも、高見順らしい表現です。


| 高見順 | 18:10 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 11
 

       天の足音

 

 

     空を見てゐると

     駱駝の足音が聞こえてくる

     砂を踏む足音かどうか

     その音は

     いそいそとして楽しげであるか

     それとも重々しくさびしいか

     耳をすますが

     それは人生の足音のやうに

     不可解である

     無味無色である


 

天を眺めると、駱駝の足音が聞こえてきます。それは、楽しいものか、さびしいものかは聞き取れません。その足音は人生の足音に似ているといいます。

無味無色であるものとは、一寸先が闇であるような、姿の見えない、この世の不可解な運命を暗示しているように感じます。

                       (この稿続く)


| 高見順 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 10

       空を見てゐると

 

     空を見てゐると

     黒く小さな蝶のやうなものが

     僕の胸から飛びたつた

     僕は何か失つたのである

     だのに何かが加へられたやうな気がした


 エッセイ「詩への感謝」の中で作者自身が自作自注を施しています。「これは私の詩についても言えることだった。詩を書くことは〈何か失った〉ことなのだが、〈だのに何かが加えられたような気が〉するのだった」と。

また、別の一節で、「書くことは自分の内部から何かを放つことである。自分から何かが失われるのである。ものを書くということはエネルギーを消耗することだ」と述べています。

重篤の患者にとっては、命にも関わるような行為でもあります。

しかし、作者はエネルギーをすり減らすことで、引き換えに詩を得ました。それが命の養いになったと語っています。


      天の椅子

 

     空を見てゐると

     一列の椅子の列がありありと見えてきた

     点のやうな椅子からはじまって

     目立たぬ程度にだんだんと大きく

     遠くへ行くほど少しづつ大きく

     今は無い儀仗兵のやうに凛々しく

     また図形のやうに純粋で謙虚に

     ずつと向うまでつらなってゐる

     同じ形のごくしつかりしたその椅子には

     どれにも人は腰かけてゐないが

    その椅子に似つかはしいどんな人も想像されない


 高見順の詩的イメージの特徴として、「天上思慕性」(吉野弘)があります。

「天の椅子」を始め、他の詩にも「天」、「空」のキーワードが多出します。この「天」「空」は人間の到達し得ない世界を暗示していると考えられています。

この作品では、空の一角に幾何学的な正確さで、椅子が連なっているといいます。


点のような微小な大きさから始まって、目立たぬ程度に大きく向こうまで連なっています。

目立たぬ程度にということは、大きさがカクカクせずにスムーズに拡大していく様が伺われます。ちょうど、数学でいう所の等比級数的な滑らかなラインで大きさを増しています。


その様子は、まるで儀仗兵のようだと。儀仗兵とは、儀礼・警護のためにVIPにつけられる武装兵です。つまり、威厳をもって規律正しく、一糸乱れることなく連なっている様を描写しています。

しかし、椅子には誰も腰掛けていません。いや、この椅子にふさわしいどんな人もいないというのです。


とすると、天の椅子に腰掛けられるのは神様のような至高の存在しかいないということになるでしょう。冒頭に、高見順の「天」とは人間の到達し得ない世界を暗示しているとは、このことです。

ここからは私の拙い解釈です。私が思うには、高見順はこの椅子に座りたかったのではないか、と推測しました。ただ、生きた人間は座れないが、亡くなって聖人のような存在になったら、座れるのではないかと、考えたような気がするのです。


高見順は宗教家ではありません。ですから、聖人のような神様に近い存在とは、死病と闘い、命と引き換えるような詩を生み出し、文学者としての一生を全うした者となると思うのです。

高見順は、闘病の最後を締めくくる我が身への勲章として、天の椅子を用意したのではないかと。

                                 (この稿続く)

| 高見順 | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 9

       

 

     おゝ (しま)

     心の風景の中の小さな嶋よ

     乾いた血のやうな黒い嶋よ

 

     無数の鳥がその一点から飛び立ち

     血のついた羽毛を渦のごとくに飛ばして

     また黒い小さな嶋に一斉にをさまる

 

     するとまたもや(あわただ)しく飛び立ち

     けものの生臭い息のやうに

     はてしなく繰り返される黒い鳥の群の飛び立ち

 

     その鳥を打て

     おゝ 猟人(かりゅうど)

     私の内なる猟人よ

    その黒い鳥と黒い嶋を打て

これは実景をうたった詩ではありません。「嶋」「鳥」「猟人」というキーワードで構成された寓話です。このような詩を、分類的に「象徴詩」と呼んでいます。象徴とは、例えば鳩が平和のシンボル(象徴)であるという時の表現方法です。

この作品では、「黒い嶋」が心の中の痛み・苦しみ。「黒い鳥」が苦しみから沸き上がる暗澹たる思い。「猟人」が苦悩を乗り越えようとする強い意志。などを象徴していると思われます。

〈私の内なる猟人〉に向かって、〈その黒い鳥と黒い嶋を打て〉と命じているのは、作者がもがき苦しみながらも、暗い想念を乗り越えて生きようとする強い願望の現れなのでしょう。

                               (この稿続く)

| 高見順 | 12:31 | comments(0) | trackbacks(0)
高見順 8

       急ぐ虫

 

     掌に

     小虫をのせ

     あるかせる

 

     その急ぎ足を

     悲しむ

     人生に似てゐる


 言うまでもなく、てのひらで慌てふためいて虫は、日々何かに追い立てられている我々人間の姿です。その姿は哀しく、愛しく、哀れみの目をもって作者は眺めています。

 

       心の渚

 

     寄せてはかへす

     もろもろの想ひ

 

     海に渚があるやうに

     心にも渚がある

 

     心の渚に打ち上げられたもの

     おゝ それは

    私自身に他ならぬ


短詩ながら、比喩のうまさが光る作品です。

心の渚に打ち上げられたものは、自分自身だった。まるで漂流した亡骸(なきがら)が浜辺に打ち上げられるように、闘病の日々で苦しみ抜いて疲れ、虚脱した心がベッドという渚に、打ち捨てられているのです。

                       (この稿続く)


| 高見順 | 09:16 | comments(0) | trackbacks(0)
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